「当時の4年生は竹内譲次さん(大阪エヴェッサ)とか石崎巧さんとかゴールデンエイジと呼ばれた選手が揃っていましたが、僕にとっては3年生も2年生もみんなすごい選手ばかり。自分がその中でどれぐらいできるのかもわかってなかったし、やってやろう!という気持ちじゃなくて、あのころはとにかく練習についていくだけで精いっぱいでした。先輩たちの背中を追いかけて、毎日ただただがむしゃらにやっていただけだと思います」
ベンチ入りしたのは秋のリーグ戦から。残り2試合となった法政大戦で初めてスタメンに抜擢された。勇んでコートに出たものの「試合に出た選手の中で僕だけが無得点だった」ことは今でもはっきり覚えている。しかし、ラストゲームとなった青山学院大戦、場内を沸かせたのは無名のルーキーのワンプレーだった。
味方が放ったシュートがリングにはじかれた瞬間、ゴール下に飛び込んだのが古川。敵のディフェンスをものともしない力強さでボールを奪うと、次の瞬間大きくジャンプしてそのままリングにねじ込んだ。鮮やかで、ダイナミックな一連の動きに目を見張った観客は多かったに違いない。「あの選手って誰?」「まだ1年生だよね」。先輩たちに頭をポンポン叩かれた1年生はまるでチームの末っ子のように見えたが、この末っ子が只者ではないことに周囲は気づき始めていたのではないか。陸川監督の慧眼を証明するようにその後も着実な成長を見せた古川は、その年のインカレ2連覇にも貢献し、ユニバーシアード日本代表候補選手に名を連ねることになる。
「ユニバはあくまで候補選手で本大会には行けなかったんですが、選んでもらえたことがすごくうれしくて自信にもなりました。ちょっと世界が広がったという意味ではトップリーグのチームに行く先輩たちを見て『バスケットを続けていればこういう道もあるんだ』と気づいたことも同じかもしれません。当時の自分の実力からすれば勘違いだったかもしれないけど、4年間頑張れば自分にもそういう道が拓けるんじゃないかと思ったんですね。全国大会では爪痕を残す間もなく負けてしまって、将来バスケで飯を食っていこうなんて1ミリも考えていない高校生だった自分がその1年後にトップリーグでプレーすることを考えるようになるなんて。なんか人生は不思議です(笑)」
卒業後入団したアイシンシーホース三河(現・シーホース三河)はJBL、天皇杯で優勝記録を更新中の強豪チーム。名だたる選手が居並ぶ中で「自分のプレーは通用するんだろうか」と不安を抱えつつ古川の第二章がスタートした。
中編「『支えられていた自分』から『切り拓く自分』へ」へ続く
文 松原貴実
写真 B.LEAGUE