石井講祐が千葉ジェッツに入団したのは2013年。
練習生として開始したプロのキャリアは瞬く間に様々な数字を蓄えて、天皇杯3連覇の中核を担う存在、そしてリーグの3ポイント王を獲得するまでのプレーヤーへと登りつめた。
千葉出身の地元選手としてあまりにも物語的な成功譚をのこした石井だったが、彼は3年前に自身のキャリアに大きな分岐点を設け、永続的にチームの基盤として期待する周囲を驚かせた。
あらゆる成功に近かった当時の千葉Jを去り、チームの再構築を図るサンロッカーズ渋谷へと身を移した石井の決断は、競争に携わる多くの人たちに違和感をもたらしたのだ。
言うまでもなく彼の決定のプロセスには様々な葛藤や希望や諦めが行き来し、保身と前進と後退とのあいだで大きく揺れ動いたわけだが、最終的には自分自身のたどりつきたい姿を追い求めた。
それは、3年のあいだ続けてきた会社員としての生活を手放して、千葉Jの門を叩いた10年前の選択となんら変わるところのない、石井の根源が示した道行きだった。
ジェッツのときはどちらかといえば、相手の得点源をディフェンスで抑えて、オフェンスでは繋ぎだったりオープンシュートだったり、そういう役割でした。最初はやっぱりできることが限られるので、とにかく自分の仕事にひたすら打ち込んでいったんですけど、それを徐々にクリアしていったらもっとああしたい、こうしたい、っていう欲求が毎年増えていったんです。サンロッカーズに来て、オフボールでスクリーンを使ってオープンなシュートを打つだけではなくて、自分で攻めるプレーとそのバリエーションは増えたのかなと思っています。ジェッツにいたときからそういうプレーをやりたい、という気持ちはあったので練習は重ねていたんですけど、サンロッカーズに来てから試合で実際に試せるようになってきて、自分の中でも手応えを掴めてきている感触があります。
移籍してきた当時のサンロッカーズは半分くらいのメンバーが入れ替わって、一からチームを作っていくような新鮮さがありました。その中で、僕自身もジェッツのときの役割にプラスしてボールを持つ機会が増え、ピックアンドロールを使って自分でアタックして、オフェンスをクリエイトする場面が増えました。プレーの幅が広がった手応え、それにトライできた手応えがあった移籍初年度だったと思っています。いい意味で自信が深まったシーズンでした。
でも、性格的にはそんなにガンガン攻めるタイプでもないと思ってるんです。いいところのスティールとか、いいところのルーズボールからパスを繋いだりとかの方が好きなんですよ、個人的に。なのでどちらかといえば渋いプレーの方が僕は好きです。そういうプレーができているときのほうが調子がいいのかな、っていうバロメーターでもあります。20点取った、とかよりもゲームのいい場面でスティールをしたり、相手を止めたりとか、アシストを出せたり、そういう流れがガラッと変わるようなプレーをできているときのほうが、ゲームに入れている感じがします。