大分のときはクラブ運営会社が経営難に陥り、移籍先を探さなければならないところで新潟からオファーを受けての復帰。島根を戦力外になったときは、ダメ元で自ら古巣に連絡を取った。形は異なるものの、佐藤は「ピンチのときは新潟が手を差し伸べてくれた」と表現し、特に2度目は骨を埋める覚悟もあった。そして今回、キャリアにピリオドを打つことを決心する。
「旅を続けるんだったらいくらでも挑戦はできたと思いますが、最後は新潟で終わろう、新潟でダメなら引退しようと思っていました。もちろん現役を続けたい気持ちは少なからずあるんですが、体はトレーニングで準備できても、心の面でこれ以上頑張れない。ごまかしながらやろうと思えば、どこか給料をくれる所はあるのかもしれないですが、クラブやスポンサー、ブースターさんがつけてくれるその対価に僕は見合わないと判断しました。ごまかすのは嫌だったので、それなら『ゼロに戻ろう』と。これが僕なりの筋です」
bjリーグの産声とともにプロキャリアをスタートさせた佐藤は、プロリーグ黎明期を知る人々の中でも一番の主役である選手という立場で、その大きな渦の中心にいた貴重な人材。Bリーグが誕生し、大きな発展も期待できる今の状況は佐藤にとっても誇りだ。
「僕がプロになったのが20歳。一番上の息子がそれくらいの年齢になる頃には胸を張れる立派なリーグになっていてほしいと願いを込めながらプレーしてきました。今のリーグを見ると、下積み時代にその日その日を一生懸命やってきて良かったなと思います。僕が貢献できたとは思わないですが、毎日生きるか死ぬかでやってきた選手が多かったから今があると思うし、僕もその一員としてやってきたつもりでいます」
そしてそれ以上に、佐藤は日本初のプロクラブである新潟に誇りを持つ。かつては自身もファンの1人として、選手の躍動する姿に憧れを抱き、ブースターの熱狂を肌で感じた。だからこそ、現状にあえて苦言を呈する。
「選手もそうですが、フロントももっとプライドを持たないといけないと思うんですよ。過去のことを話していくことも大事。今の若い人は昔話が好きじゃないから、受け入れられないのはわかります。でも、伝えていかなきゃいけないこともある。このクラブが何故できたのか、どうやって成り立ったのかを知っていると知らないとでは違うと思うんです。単純に『応援してください』と言うよりも、歴史を知った上で言葉をチョイスしたほうが伝わりやすい。僕は発言力はないですが(笑)、僕1人で歩き回って喋る分にはいいので、自分にもそういう役割ができるのであれば全力で広めていきたいです」
厳しい言葉を投げかけるのも、新潟アルビレックスBBを人一倍愛するがゆえであり、支えになった人たちへの感謝の想いも強い。そんな佐藤のメッセージを、最後にここに残しておきたい。
「17年間、大分や島根も含めてたくさんの方に応援していただけました。家族には特に感謝していますし、それ以外の方は良いことばかり言ってくれるわけではなく、僕はそれを聞いて何くそとバネにしまくって(笑)頑張れたので、出会った人たち全てに感謝の気持ちでいっぱいです。いろんなクラブを見に行ける立場になって、特に新潟はそうですが、皆さんと一緒に応援して盛り上げていきたいです。一緒に見届けていきましょう!」
文 吉川哲彦
写真提供:新潟アルビレックスBB、B.LEAGUE