歴史を知る者がまた1人コートを去った。新潟アルビレックスBBで現役生活を終えた佐藤公威は、男子では珍しい短大出身であることに加え、現役生活17シーズンという長さとはいえ2度故郷を離れ、2度戻ってきた異質のキャリアの持ち主。さらには、後のBリーグ誕生にもつながる日本初のプロリーグ・bjリーグの11シーズンを全うした数少ない1人でもあり、様々な面で稀有な存在だ。その彼が故郷のクラブを想う言葉は重く、新潟アルビレックスBBに関わる人、支える人全てが耳を傾ける必要がある。
1984年生まれの佐藤は小学校5年生のときにバスケットを始めている。故郷・新潟に日本初のプロクラブが誕生する5年前のことだ。バスケット界においてはプロという概念も希薄だった時代だが、佐藤はその頃から漠然と「プロになりたい、いつか日本でプロになろう」と思っていたという。
いざ新潟が当時のJBLに参入すると、佐藤は「ほとんどの試合を見た」と言うほどホームゲームに足繁く通った。当時の記憶は今も鮮明に残り、「みんな体も大きいし、それなのに動きも速い。パス1つとってもすごく正確で、やっぱりレベルが高くてカッコ良かった」と感嘆したというが、佐藤の印象に特に強く残っているのは、新潟市体育館で行われたアイシン(現・シーホース三河)との対戦。優勝争い常連の強豪に必死に食らいつく新潟の姿に感銘を受けた。
「佐古(賢一)さんがまだ現役で、桜木ジェイアールさんはたくさん点を取ってたんですが、アルビもすごく頑張って競った試合だったんですよ。どの試合も諦めずに戦っていたイメージがありますね」
そんな折に、佐藤は新潟のサテライトチーム発足をテレビのニュースで知る。下地一明ヘッドコーチの指導の下、2005年に全日本クラブ選手権準優勝を果たす新潟アルビレックスA2である。「最初からトップチームに入るのは無理」と思っていた佐藤は、「トライアウトでも何でも行って、まずはここに入ろう」と目標を定めた。中越高校から新潟工業短大に進んだのも、新潟に入るためだった。
「阿部裕孝監督に誘っていただきました。『どうなりたいんだ』と言われて『アルビに入りたいです』と答えたら『俺とウマが合えば入れるぞ』って言われたんです(笑)」
その後、話は思いがけない方向に展開する。新潟がJBLを脱退し、新たに創設されるbjリーグに参戦することになったのである。bjリーグのスタートは2005年。佐藤が新潟工業短大を卒業する年だった。
「チャンスだと思いましたし、ちょうどそのタイミングでbjリーグができたのは運命を感じましたね。小さい頃にプロになりたいとは思っていても、当時は企業チームしかなくて、そこに入るイメージはなかったんです。アルビレックスができて、そこに入れるとなったときは『夢って叶うんだな』と思いました」