それにしても卒業まであと半年。部活生活が終わり、せっかく友だちと遊ぶ時間もできたというのに思い切った決断をしたものだ。神戸を離れる不安や家族や友だちと別れる淋しさはなかったのだろうか。
「不安とか淋しさとか、それは確かにありましたね。でも、そのときは1日でも早く北陸でバスケがしたいと思ったんです。なんか、こう、自分の青春をバスケに懸けるんだ!みたいな(笑)。自分の頭にはそれしかなかったです」
物事をポジティブにとらえ、求められる場所で全力を尽くす
決めたら弱音は吐かない性格は前述したとおり。進学した北陸で “バスケットに懸けた青春” は3年次のウインターカップ優勝という形で実を結びキャプテンとしての責任も全うした。ただその一方で相次ぐケガに苦しんだ時間があったのも事実だ。
「そうですね。確かにケガは多かったです。中でも忘れられないのは進学した東海大で全治6か月の大ケガを負ったこと。2年になってはりきっていた矢先のことでした」
同級生の飯島理貴、1年下にはベンドラメ礼生(サンロッカーズ渋谷)、小島元基(アルバルク東京)など有力なポイントガードがしのぎを削る中で「半年後、戻る場所はあるのだろうかと不安になる自分がいました」。そんな藤永に「本当の勝負はまだ先にあるんだから今はしっかりケガを治すことに専念しろ」と声をかけてくれたのは1年先輩の田中大貴(A東京)。「お前は必ず復帰できる。心配するな」と言い続けてくれたのは陸川章監督。
「本当にいろんな人に支えてもらって、自分は1人じゃないんだと思えたんです。ケガしたことは辛かったですけど、ネガティブにならなくてすんだというか、むしろ物事をポジティブにとらえる習慣がついたっていうか、それは東海大というチームとみんなのおかげだと思っています」
キャプテンを務めた4年次には春のトーナメント初優勝、秋のリーグ戦完全優勝(18戦全勝)という輝かしい成績で歴史を刻んだ。だが、自信をもって臨んだインカレは決勝で無念の敗退。拳で涙をぬぐいながらインタビューに答える藤永の姿は今も記憶の中にある。が、さらに色濃く残る記憶はベンチの真ん中に立ち先発メンバーをコートに送り出す姿だ。同級生のザック・バランスキー(A東京)、晴山ケビン(富山グラウジーズ)の背中をたたき、ポイントガードのベンドラメには「頼んだぞ」と必ず声をかけた。
「スタメンで出たい気持ちがなかったと言えば嘘になります。だけど、その前に自分はキャプテンで、キャプテンとしてやるべきことがあると思っていました」
それも東海大で学んだことの1つ。物事をポジティブにとらえ、自分が求められる場所で全力を尽くす。「それは今も変わらず自分の核になっていると思います」
後編:学生代表メンバーに選出されたことが人生を変えた へ続く
文 松原貴実
写真 B.LEAGUE
※選手の所属は2021-22シーズンに準拠