「タフなディフェンスとチームを鼓舞するエナジーです」 ── 千葉ジェッツにおける自分の役割は?の問いに返ってきた藤永佳昭の答えは明快だった。千葉のメインガードは言わずと知れた富樫勇樹、2番手にはベテランの西村文男が控え、ルーキーの大倉颯太も着実にプレータイムを延ばしている。が、「それぞれ持ち味が違うのがいいんです」という藤永には焦りも気負いも感じられない。「僕がいつも考えているのは、誰かと競い合って自分を押し出すというより、自分を磨いてチームを押し上げることです」。近づいたチャンピオンシップを前に「リーグ2連覇に1つでも2つでも貢献したい」と語る口調も力強かった。
しかし、藤永が、そして、千葉が掲げた2連覇の目標はクォーターファイナルで潰えることとなる。ホームで迎えた宇都宮ブレックスにまさかの2連敗を喫し、東地区1位の称号を持ちながら今季の舞台を降りることになった。さらにそれからしばらくして届いたのは『藤永佳昭選手、千葉ジェッツと契約満了』のニュースだ。読み返した『満了』の文字がやけに大きく感じられたのは数週間前に聞いた藤永の言葉がまだ耳に残っていたせいだろうか。
「僕がコートに出るとき応援席から藤永コールが起こるんです。今はコロナで声出しがNGになってますが、それでもベンチから出るときは僕の名前を呼んでくれるみんなの声が聞こえるような気がして気合が入ります」と弾んだ声、4月で30歳になった自分を「もう30歳!」と茶化しながら、「けど、30歳から上手くなる選手はたくさんいるじゃないですか。自分もそうなれるよう頑張ります」と続けた前向きな言葉。浮かべた屈託のない笑みが少年のように見えたことを思い出した。
『期待のちびっ子スイマー』から『熱血バスケ少年』へ
藤永が生まれ育ったのは兵庫県神戸市。生真面目な性格はともに教師だった両親から受け継いだものかもしれない。どんなことであれ自分が始めたことは弱音を吐かず頑張る子どもだった。たとえば「1歳のころにはプールに入っていた」という水泳もその一つ。聞くところによると専門の背泳ぎでは地元の大会で何度も優勝し『期待のちびっ子スイマー』と注目されていたらしい。が、小学生の藤永にとって記録更新を求めて続く厳しい練習は「泣きながら通い、練習日になると熱が出るほど」辛いものだった。それに比べ、父が高校で指導していたことがきっかけで始めたバスケットはなんと楽しかったことか。中学進学を前に「水泳とバスケットをどちらかに絞った方がいい」と父に言われたときは「めちゃくちゃうれしかった」という。「ああこれからは大好きなバスケに専念できる!と思ったらうれしくて、うれしくて。それぐらいバスケは楽しかったです」
かくして誕生した “バスケ一筋の熱血少年” は、内外自由自在に動きまわる “点取り屋” として名を馳せ、3年次にはジュニアオールスターの兵庫県代表メンバーに選出されるまでになる。それだけに卒業を待たず、福井の中学への転校を決めた藤永に驚く者は多かった。
「北陸高校に進学するために決心しました。きっかけは父の親友が北陸高校のバスケ部とつながりがあって練習見学に連れて行ってもらったことです。ちょうど篠山竜青さん(川崎ブレイブサンダース)や多嶋朝飛さん(茨城ロボッツ)が3年生のとき。その年のインターハイで優勝したチームで、見ているだけでワクワクして絶対このチームに入りたいと思ったんですね。すぐ練習に参加させてもらって、監督からうちに来てもいいぞと言われたときはものすごくうれしかったです」