大学卒業後、種市は結果的にプロとして12シーズンの現役生活を送ることになるが、そのキャリアは多くの人の支えで成り立っていたことを種市は強く実感している。
最初に入団したレノヴァ鹿児島(現・鹿児島レブナイズ)では1年をほぼリハビリに費やしたが、鮫島俊秀ヘッドコーチからは「今ここで頑張れば、おまえはもっと上のステージに行ける」と励まされ、向上心も高まった。
その後の4シーズンは、高校時代から何度もそのプレーを見てきた折茂が代表兼選手を務めるレバンガ北海道で過ごす。雲の上の人と言ってもいい折茂とともにプレーしたことは当然ながら種市の意識にも影響を及ぼしたが、「折茂さんももちろんそうですが、桜井(良太)さんや阿部(友和)さん、比留木(謙司)さんたちからもプロの厳しさを教わりました。ここで、プロとしてやっていく覚悟が出てきたと思います」と語るように、北海道での4シーズンは種市のキャリアを方向づける重要な期間となった。
Bリーグが誕生する直前の2015-16シーズンからは群馬クレインサンダーズでプレー。2シーズン目を全休するなど、ここでも故障が影を落としたが、「藤原(隆充)さんや小淵(雅)さん、根東(裕隆)さんには本当に良くしてもらいましたし、あの人たちのプロ意識は見習うところがたくさんありました」と感謝の意を示す。
そして、奈良に移籍した2018-19シーズンの頃から “引退” が頭をよぎり始める。その理由はやはり、これまでの度重なる故障に他ならない。
「まだやりたいと思っても脚は痛いし、だんだん私生活にも影響が出るようになりました。普通に歩くだけでも痛いので、階段をゆっくり降りたりすることも多くなって、体の面も気持ちの面もそろそろ限界かなと思いました。今シーズンも2ケタ得点を取る試合はありましたが、それはプレータイムが長かったから。次の日はまともにプレーできませんでした」
とはいえ、奈良での4シーズンもやはり周囲の支えでプレーできていることを改めて感じる日々だった。特に感謝の気持ちが強かったのは、この奈良だったのかもしれない。
「社長の加藤(真治)さんやGMの神田(悠輝)さんをはじめ、フロントの方は朝早くから仕事していて、すごく頑張っていた。なかなか勝つことはできなかったんですが、ブースターさんもすごく応援してくれました。負けた試合で小さい子が泣いてるのを見たときはやっぱり『勝ってブースターさんたちが喜んでいるのを見たい。そのためにも頑張らなきゃいけないな』と思いましたね」
12シーズンに及ぶプロバスケットボール人生を、本人は「半分はリハビリしていたような12年でしたが、いろんなご縁があって、出会いに恵まれたなと思います。バスケがなかったら今の自分もないと思います。その恩返しじゃないですが、将来のある子どもたちを育てたい気持ちは強いですね」と振り返る。バスケットと出会い、無我夢中になり、それが多くの人との縁を生み、その縁が種市のバスケット人生の原動力となった。
一旦バスケットを離れ、外からバスケット界を見てみたい気持ちもあるという種市は、最後の試合を終えてからしばらく自身の今後を決めかねている。しかし、仮に一度バスケットから離れたとしても、そう遠くないうちにバスケット界の未来を担う貴重な人材として戻ってくるに違いない。人との縁に支えられた種市が、支える側に回る日は必ず来る。
6月8日には、2年越しにようやく実現する同18日の折茂武彦引退試合に参戦することが発表された。レバンガブースターは折茂のみならず、クラブの草創期を知る貴重な1人を次のステップに温かく送り出してくれることだろう。
文 吉川哲彦
写真 バンビシャス奈良