「この身長でポイントガードができるのは、すごく大きなメリットだと思っています。今の課題はフィジカルであり、来シーズンに向けて足りない部分をもっと鍛えて、もっと上を目指していきたいです」
大学時代の駒沢はケガに泣き、「ちょうどスタメンになったときにもケガをしてしまって、タイミングが悪いときにいつもケガをしていたので、あまり報われなかったというか、運が悪かったです」と振り返る。4年次には世の中全体がコロナ禍となって活動機会が制限された。試合ができず、ケガもあり、駒沢自身はプロ志望ではなかった。しかし、高校時代の恩師である佐々木彰彦監督から「プロバスケ選手になった姿を見たい」と背中を押される。プロとなった今、父と学生時代のすべての監督たちから多くの影響を受けたこの青森で「恩返しがしたい」という思いが強い。
「チームとしてはなかなか勝てなかったですが、試合に出て活躍している姿を見て、恩師たちからもうれしいという言葉をいただき、プロになって本当に良かったなと思っています」
5勝しかできず、シーズン途中にはヘッドコーチが交代となり、フェルナンドヘッドコーチが就任したのも2月末のこと。「良い形で交代となったわけではないですが、自分にとってはいろんなバスケを知る機会になり、バリエーションが増えたことで成長につながったと思っています」と逆境も転機と捉え、貪欲に吸収していた。
しかし、チームが勝てない状況に対し、「もう自分さえ成長できればいいや…」という思いが浮かんだ時期もあった。だが、駒沢は原点に立ち返り、もう一度チームのため、青森のために戦うことを決意する。
「やっぱりチームで戦っていかなければ、自分の成長にもならないと思いました。青森ワッツはシューターが多いので、ボールを持つ自分が絶対にマークされるから、そこでディフェンスを2人引きつけて、シューターに打たせることを意識してプレーするようになりました。3ポイントシュートを決めてくれたことで、今日(東京Z戦)の勝利につながったと思います」
5勝しか挙げられなかったが、最後の最後でチームとして流れるようなプレーで連勝することができた。チームのために戦ったからこそ、成長した姿を見せることもできた。
「やっぱりB1を目指しており、そこでも活躍できる選手になりたい。B1の中でもマークされるような選手になりたいです」
フィジカルの向上やポイントガードとしての経験を積むことなど、まだまだやるべきことは多い。その分、成長できる余地もたくさんある。急ぐことなく、しっかりと足元を固めながら自らのスタイルを築いていくことで、「将来は日本のトッププレーヤーになる可能性はある」というフェルナンドヘッドコーチの期待値も高い。アウェーで取材を受けたのははじめて、と照れ笑いする青森の秘蔵っ子の名が、さらに広く知れ渡る日はそう遠くないはずだ。
文 泉誠一
写真 B.LEAGUE