夜は友たちと電話で話すことで寂しさを紛らわせた。定期的に連絡をくれる陸川監督の言葉も大きな励みになったという。「陸さんはスーパーポジティブな人じゃないですか。これまでもケガに苦しむ選手をたくさん見てきた人でもあると思うんですね。だから、陸さんじゃないと響かない言葉があるんです。第一声は決まって『どうだ、おまえ、ちゃんとサボらずリハビリやってるかぁ』。それがめっちゃ明るい声なんですよ。今の状態を話すと、『そうか、じゃあ次はこういうリハビリだな。そこをクリアしたら次はこうだな』みたいな前向きな話をしてくれる。そうすると、なんかこう希望を感じるんですね。ケガした直後は大学のコートにはもう戻れないかもしれないと思っていたけど、いや、もしかすると戻れるかもしれないって、自分の中に希望が湧いてくる。陸さんの電話はいつも自分にそういう希望を与えてくれました」
実は大倉のリハビリにはこんな裏話がある。手術を執刀した医師が高校時代陸川監督とバスケットをしたことがあるというのだ。「遡ることウン十年前の古い出来事なんですが」と笑う陸川監督によると、「私がまだNKKでプレーしていたころ鹿児島にクリニックに行ったんですね。その後に行ったイベントで高校生と1対1をやったんですが、そのときの相手が船橋整形外科で颯太の手術をしてくれた先生だったんです。なんとも不思議な縁というか、聞いたときはびっくりしました」。だが、この思わぬ縁のおかげで「颯太のケガの状態、リハビリの成果について遠慮なくなんでも聞くことができました」という。全治12ヶ月と診断されたケガを本人は10ヶ月で治すと言ってますが、実際それは可能なんでしょうか?本人はもう動けると言い張っていますが、本当のところはどうなんでしょう。そのたびに医師から返ってきたのは『私も驚くほどのスピードで回復に向かっています』といううれしい答え。もちろん綿密な計画を立ててサポートしてくれたリハビリチームの存在、大倉自身の筋力の強さなどプラスに働いた要素はいくつもあるだろうが、「やはり1番は颯太のメンタルの強さ」だと陸川監督は言う。「回復の過程は想像以上に大変だったはずですがあいつは懸命に努力した。気持ちを切らさず本当にものすごく頑張ったと思いますよ」。
大倉が東海大に戻ったのはケガから約4か月後の6月初旬。チームはスプリングトーナメントに向けた練習に余念がなかったが、そこに加われなくとも大倉の気持ちは明るかった。漠然と感じていた “希望” がはっきりと形になって見えたからだ。「秋のリーグ戦では必ずコートに立つ」それが大倉の目標となった。
後編:復帰4試合目で勝利の立役者となる へ続く
文 松原貴実
写真 B.LEAGUE