前編:1度好きになったらとことん打ち込む性格 より続く
ハドルを組んで指示を出す1年生
大倉は東海大進学を決めた理由について以前のインタビューで「バスケットをやる上で1番いい環境だと思ったから」と答えている。2年前に東海大に進学した兄からは練習の厳しさを教えられ「そう簡単に覚悟を決める場所じゃないぞ」と言われたが、「厳しいなら尚のことやりがいがある」と決心は揺るがなかった。185cmで軽々ダンクを決める身体能力と強いフィジカルを武器に1番から5番までこなせる『高校界屈指のオールラウンダー』と呼ばれたが、参加したナイキオープンアジアキャンプ(60人中最終メンバーの20人に選出されオールスターゲームに出場)でのポジションが1番だったことがきっかけとなり、東海大では入学当初からポイントガードに軸足を置くようになった。当時の東海大には3年の笹倉怜寿(現・アルバルク東京)、寺嶋良(現・広島ドラゴンフライズ)など有力な先輩ガードが揃っていたが、その中で早々と主力の座を勝ち取ると秋には3年ぶりのリーグ優勝に貢献。同じ1年生の八村阿蓮とともに栄えある優秀選手賞に輝いた。
スタメンに定着したのはインカレからだ。東海大が5年ぶりの頂点に立ったこの大会を改めて見返してみると、組んだハドルの真ん中でメンバーに声をかける大倉の姿を何度も目にする。気づいたことを伝えているのか、あるいは指示を出しているのか、いずれにせよ1年生とは思えぬ “落ち着きぶり” に驚かされる。そういえばインカレの後、陸川章監督は大倉についてこんなふうに語っていた。「あいつはバスケットが本当に心の底から好きなんですね。もっとバスケットが上手くなりたい、もっとチームを強くしたいという思いが常にあふれ出ているのを感じます。そのためなら先輩にだってはっきり自分の意見を言える選手です」。
その言葉とコート上の大倉を重ね合わせると、いくつものピースがカチッカチッと音を立てパズルを埋めていくのを感じる。2年目のシーズンが終わった後、練習生として千葉ジェッツに加わったこと、3年次にリーグ戦、インカレを制したこと。とりわけ4年生の大会と言われるインカレで受賞したMVPは「もっと上手い自分、もっと強いチーム」を追い求めてきた大倉が手にした1つの “答え” だったのではないか。近づいた最終学年、スーパールーキーズと呼ばれた同期の仲間たちとともに目指す大学最後のシーズン。大倉の胸にあったのは「4年間で最高の答えを出してみせる」という思いだったに違いない。
全治12ヶ月のケガを負っても失わなかった “希望”
大倉が前十字靭帯断裂、内側側副靭帯断裂、半月板損傷の大ケガを負ったのは2月14日、千葉ジェッツの特別指定選手として出場した信州ブレイブウォリアーズ戦でのことだった。
「ケガをした瞬間、これはヤバいと思いました」。千葉ジェッツをサポートしてくれている船橋整形外科クリニックですぐにMRIを撮った結果、告げられたのは『全治12ヶ月』。3日後に入院すると翌日に1回目の手術、1ヶ月後に2回目の手術を受けた。傷口は「めちゃくちゃ痛かったです」と言うが、それより辛かったのはこれからの自分を考えるときだ。「もうこれで大学最後の年は終わってしまうのか」という不安が頭から離れることはなかった。「あのとき1番強く思っていたのは東海大に帰りたいということです。みんなに会いたい。一緒にバスケットができなくてもいいからとにかくみんなの顔が見たい。自分、どんだけ(東海大)シーガルズが好きなんだよって話ですが(笑)、あのときほどみんなに会いたいと思ったことはありません」。だが、そのためには今、自分にできることを一つひとつこなしていくしかない。「退院してからは千葉が用意してくれた部屋に住み、食事も毎日届けてもらいました。何よりありがたかったのは自分のために最強のリハビリチームを組んでくださったことです。本当に全力でサポートしてもらいました」。