“絶対的エース” と言われた金丸晃輔が抜けた今季のシーホース三河の中で2人の移籍選手が注目されている。1人は大阪エヴェッサからやってきた角野亮伍、もう1人は新潟アルビレックスBBからやってきた西田優大だ。得点能力には定評がある2人だけに「三河の新エース」として期待する声も聞こえるが、当の角野は「いや、まだまだです」と首を横に振る。「試合の大事な場面ではやっぱり今もダバンテ(ガードナー)やインサイドのプレーヤーにボールを集めるケースが多い。自分もそれと同じくらい勝負どころで信頼され、貢献できるようにならなければと思っています」。つまり日本人エースと呼ばれるのはまだ少し先ということ?「そうですね。少なくとも今じゃないです」。が、もちろん自信がないわけではない。「はい、自分は必ずもっとやれると思っています」。さらりと返した言葉には気負いはなく、それなのになぜだろう、伝わってきたのは確かな自信。『世代最強のスコアラー』と呼ばれた10代から25歳の今日まで角野が歩んできた道程をじっくり聞いてみたいと思った。
試合に負けても『角野はすごい』と言われることが嫌だった
神奈川県厚木市で生まれた角野は父、母、兄、自分、そして2人の弟も全員がバスケット経験者という濃縮100%のバスケ一家で育った。進んだ藤枝明誠高校(静岡)では190cmの身長で走れて跳べるオールラウンダーとして注目を集めたが、中でも特筆されるのは1年時に最年少選手として日本代表候補に選出されたことだろう。この合宿には当時尽誠学園高校(香川)の3年生だった渡邊雄太(トロント・ラプターズ)も招集されており、合宿初日には多くの取材陣が2人を囲んだ。2つ年上の渡邊がその分落ち着いた印象だったのに対し、角野は元気な少年そのもの。どんな質問にもハキハキと答え、「すごい先輩たちばかりなので練習を通して1つでも多くのことを学びたいです」と屈託のない笑顔を見せた。その後もアンダーカテゴリーの日本代表やナイキオールアジアキャンプの最終メンバーなど貴重な経験を積みながら着実な成長曲線を描いていく。が、周りの評価と本人の意識は若干違っていたようだ。
「確かに高校時代は何かにつけ名前を出されることが多かったですが、自分ではそんなにすごい選手だとは思っていませんでした。僕の得点能力がどうこうというより当時は190cm以上の選手はセンターをやることが多く、僕みたいに外から3ポイントを打つような選手はあまりいなかったので相手としては守りにくかっただけじゃないでしょうか。実際周りにはもっと上手い選手がたくさんいましたよ。けど、いろんな機会に恵まれたことでわりと早くから知られるようになって、追われる立場になったのは事実です。角野を止めろ、角野を追い越せみたいな。だから、もしケガをしたり、どこかでさぼったりしたらすぐ抜かれちゃうんじゃないかという不安は常にありました。そうならないためにも朝早くから夜遅くまで練習は人一倍やったと思います。こう見えてすごく心配性なんですよ(笑)」
角野の口から出た『心配性』のひと言に驚いた。代表合宿のときの屈託のない笑顔やコートに立つ堂々とした姿から『心配性の角野』を思い浮かべるのは難しい。また、もしそれが事実ならば高校卒業後のアメリカ留学はどんな思いで決めたのだろう。言葉もわからず、自分のことを誰一人知る者がいない国に飛び立つのは心配性でなくとも心配だらけの決断だったはずだ。