居心地の悪さに魅力を感じるとは、いかにも竹田らしい。
とはいえ、キャリアを積み上げてきた世界であっても、想像もできない、新しい仕事に就くのは勇気のいることだ。それも選手としてのキャリアが高ければ高いほど、居心地は悪くなる。さすがに「そんなこともできないの?」と叱責されることはないだろうが、そう思われることはあるかもしれない。実際にできないことは多々あると竹田自身も認めている。
「ただまったく知らないことを、見たり、知ったり、教えてもらったりすることで、今までの自分にはない感情も生まれてきているので、それが純粋におもしろい……と言ったら仕事なのでよくないかもしれませんが、ボクにとってはおもしろいです」
冒頭に記したとおり、GMの多岐に渡る仕事をしながら、竹田は2つのことを意識しながら、精力的に動いている。
ひとつは横浜が掲げたスローガン「DARE TO BE BOLD」、横浜の公式サイトによると「危険は覚悟、やるしかない。横浜の海賊らしく大胆不敵に、横浜の誇りを背負って敢然勇烈に。」と意訳したそれに向かって、チーム全体が動いているかをチェックし、導くことである。
もうひとつはフロントとチーム(現場)のパイプ役になること。横浜は都筑区にフロントオフィスがあり、練習場は磯子区にある。距離にして約25キロ。都筑区と磯子区の間には4~5の区がある。物理的な距離の遠さはフロントとチームの接点に希薄さも生んでしまう。それを少しでも解消するのが、竹田の考えるGMの役割のひとつだと言う。
結びつけたい人々が、動きやすい環境をどう作るか。しかしそこには多くの人がいて、それと同じ数だけ揺れ動く気持ちもある。それらを動かし、変え、同じ方向を向かわせるのは簡単ではない。竹田は今、選手時代には考えてもいなかったことを、引退後1年目でいきなり実践しようとしているのだ。
「選手のときは本当に視野が狭かったというか、基本的には自分のことしか考えていなかったんです。伝えるにしても、自分の見える範囲でちょっと気づいたことを伝える感じでした。でも今はチームに選手、コーチ、スタッフを合わせて20人強がいますし、加えてフロントスタッフとの接点も考えると、やはりもう少し広い視野というか、高い視座で物事を見なければいけないので、そこは難しいところです」
ただ、そうした難しささえも、今の竹田にとっては楽しいことだと認める。わからないことをわからないままにしない。立ちはだかる壁から逃げるのではなく、乗り越えようと汗をかく。新人GMはまだ一歩を踏み出したばかりである。
新たな海へと漕ぎ出したハマの新GM(後編)2つの軸足を巧みに使い分けて へ続く
文 三上太
写真 B.LEAGUE