居心地の悪さを乗り越える楽しみ
GM(ゼネラルマネージャー)の仕事は多岐に渡る。
弊サイト内にあるGMの対談やコラムを読み返してみると、その主な仕事は「コーチや選手、スタッフの人事」であり、「チームの方向性を決めること」、「予算の差配」だとわかる。
求められる能力も「バスケット(現場)への理解」や「ビジネスリテラシー(情報管理)」、「コミュニケーション能力(人脈)」があり、「会社(オーナー/社長)のコンセプトを理解する力」もある。
それらを押し並べて見ると、竹田謙が横浜ビー・コルセアーズでGMの職に就いたことは、なるほど、納得のいくものである。
東京海上ビッグブルーから始まって、新潟アルビレックスBB、福岡レッドファルコンズ(解散)、松下電器(のちのパナソニックトライアンズ。廃部)、リンク栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)を渡り歩き、一度は現役を退いたものの、横浜で現役復帰。求められるプレーを飄々とこなし、仕事が終われば颯爽とベンチへと戻っていく。オールラウンドプレーヤーとは少し異なる、「ゼネラル(全般的な)」なプレーヤー。そんな言葉はないだろうが、現職と対比すれば、その表現がしっくりとくる。
プレーだけではない。コートを離れれば、どこかのんびりとした笑みを含みつつ、機知に富んだ言葉で、人々の心を懐柔していく。人たらし。もちろんいい意味で、である。
そのうえ根は真面目で、苦労も重ねてきたし、それを乗り越えるだけの熱いものも持ち合わせている。まさにGMにピッタリではないか!
もちろん、それだけでGMが務まるはずもない。もっと高い知識や豊富な経験も必要だろう。しかし竹田はそれになりうる資質を十分に持ち合わせているように思える。
ただ、なぜGMだったのか。
B.LEAGUEでも選手経験のある人物をGMに据えるチームは増えてきているが、竹田は一度目の現役引退後に、コーチの道を選択している。2015-16シーズンにWリーグのデンソー・アイリスでアシスタントコーチを務めているのだ。そこで、のちに東京オリンピック2020で銀メダルを獲得する選手たちの頑張りに触れて、現役復帰を決断するわけだが、二度目の引退後もコーチというキャリアを選んでおかしくはなかったはずだ。
しかし彼はそうしなかった。
「バスケットボールという競技の面ではやりきったところがあったので、バスケットに関わるにしても、ちょっと違う角度で関わってみたいなという気持ちがありました。それと日本のバスケットを考えると、ある程度勝手もわかっていて、コーチをしたとしても、できるかどうかは別にして、何となくどういうことをするのかが想像できたんです。であれば、ボク自身がまったく想像もつかない、いろんな挑戦をしなければいけない、居心地の悪い環境みたいなほうが面白そうだなと。そこに魅力を感じて、やってみようと思ったんです」