── そのままAチームに定着して2年次から試合にも出るようになったと記憶しています。自分の何が買われたのだと思いますか?
中山 自分の何が買われた?うーん、なんだろう。思うにちょうど使い勝手がよかったんじゃないですかね。
── 使い勝手がいいとは?
中山 なんて言えばいいか、まず東海大にはタレントが揃っていて、なんでもできる選手がいっぱいいるわけです。僕はその中で自分を主張するというよりチームをどう回すかを考えていて、間、間をうまく繋ぐというか、多分ですけど、そういう繋ぎ役として買われていたんじゃないかなと思います。あと、アグレッシブにプレーすることは常に心がけていたので、そこは見てもらってたのかなという気はしますね。そのころからリバウンドも積極的に飛び込んでいました。
── Bチームに落ちる可能性もあったところからやがてAチームの主力へと、その過程には相当な努力があったのではないですか?
中山 いえ、それほど努力した記憶はありません。振り返っても、努力したって感じることはあまりないですね。
── なんと!努力した覚えがない?
中山 ハハハハ(笑)。そうなんです。周りの人はどう思うかわかりませんが、僕は本当にバスケが好きなので『努力して、努力して頑張ってきた』というより『楽しんでバスケと向き合ってきた』という方が合ってるような気がします。
── でも、東海大ではフィジカルを強化するために食事メニューを考えトレーニングに励み、4年間で10kg以上体重を増やしたと聞きました。それは努力とは言わないですか?
中山 努力とまでは言えないです。東海大に入って最初に感じたのは1年と4年ではフィジカルの強さが段違いということです。田中大貴さんとか須田侑太郎さん(ともにアルバルク東京)とか4年生のフィジカルはみんなバカ強くて、こりゃバスケ以前に戦える体を作らなきゃダメだなと思いました。目的を持って頑張るのは、まあ努力かもしれないけど楽しいことでもあるんですよ。おかげで秋田に入ったときもそれほどフィジカルの差を感じなくてすんだし。もちろん葛藤したり悩んだりすることはありますよ。けど、それを含めて僕にとってバスケはやっぱり楽しいものです。
フィフティーフィフティーのボールは自分のボール(後編)へ続く
文 松原貴実
写真 B.LEAGUE