大学卒業後、上原GMは実業団リーグへ(※2013年から大塚商会アルファーズの一員としてNBDLでプレー)、大学在学時から日本代表に選出された伊藤氏は東芝ブレイブサンダース(現川崎ブレイブサンダース)と栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)でJBL時代にリーグ制覇を成し遂げる。それぞれ違う道を進んでいたが、トレーナーの色かぶりで築いた二人の絆は変わらぬまま、それぞれの立場でバスケへの情熱を注いでいった。
2011年、東日本大震災で大きな被害を受けた地元の茨城に対し、「何かしたい」と上原GMが動く。「震災時は体育館が使えず、みんながバラバラになってしまって、なかなか集まることもできませんでした。そんなときに同じTシャツを着て、一緒にバスケをすることで仲間意識がさらに強くなるのではないか」と考える。当時、ブレックスで活躍していた伊藤氏に声をかけ、茨城県バスケットボール協会など多くの方々の理解を得ながらチャリティクリニックを実現させた。
このときに準備段階から手伝っていたのが、当時中学生だった鶴巻啓太だ。伊藤氏にとっては中央大学の後輩であり、何かと縁がある。クリニック当日は試合があったために、鶴巻自身は参加できなかった。時を経て、当時の中学生をプロとして迎えた上原GMは、「コロナ禍の今もそうですが、いろいろと制限されている中で夢を追いかけてもらいたい気持ちがありました。鶴巻のように実際にプロになった選手も出てきたことで、10年経ってあのとき行動した意味がようやくあったのかと実感できています」と感慨深い。伊藤氏の言葉を借りれば、「あのときに種を蒔いて、こっちは忘れかけていたけど、勝手に芽を出して森になっているみたいな感じ」である。3月20日、伊藤氏をふたたび茨城に迎え、10年ぶりとなるチャリティクリニックが開催された。
「このような活動は、いろんなところに向けてどんどん発信していかないといけないと感じています。その中で、この日に茨城でバスケを通じて集まることができたのはここしかないわけです。10年前もそうですが、いま目の前でできることを大切にしていかなければいけません。その思いを持って行動するにあたり、思いが通じる人としてイートン(伊藤氏)がパッと頭に浮かびました。それはなぜかなと思ったら、10年前のあのクリニックがあったからです」(上原GM)
「子どもたちが喜んでくれれば良いという思いは10年前から変わりません。今回は一般応募での参加だったのでどうなるか不安もありましたが、みんなすごく元気が良かったです。素直だし、一生懸命にプレーしてくれました。小学校高学年になりはじめの子はちょっと難しい時期でもありますが、雰囲気良く楽しんでくれたと思います」(伊藤氏)
東日本大震災から10年──茨城の地でつながるバスケの絆(後編)へ続く
文・写真 泉誠一