桜井がレバンガ北海道に残った理由を “1つには” と書いた。かっこで括ったのには意味がある。残った理由は1つではない。
「ファンの存在も大きかったですね。特に前のチームがなくなってしまったときは、僕が心配する以上に僕のことを心配してくれる人が多かったんです。『なんで、この人たちは僕のことを心配してくれているんだろう?』って思うくらい心配してくれていたんですね。でもそれくらい気持ちを入れて応援してくれる人がいるわけです。やっぱり選手としての幸せはたくさんの人に見てもらって、応援してもらえることだなと感じました」
B.LEAGUEができ、今でこそ各クラブに熱狂的なファンもついている。応援するチームの選手が困っていれば、それこそ親となり、兄姉となり、ときには弟妹となって励ます方も多いだろう。しかし当時のNBLにはプロチームが少なく、大半がトヨタ自動車のような企業チームだった。もちろん社員の方も応援してくれたが、彼らはいわば身内である。見ず知らずのファンが自分の一挙手一投足に注目し、ときに心配してくれる。そんな経験を、それまでの桜井はしてこなかったのである。
自らの決意と、ファンの存在。
そして、もうひとつ、やはり “彼” の存在も大きかった。
「レバンガ北海道ができて、折茂さんがああいう形で『代表兼選手』としてやるとなったときに、チームの状況としてはかなり悪かったんです。正直、やばいだろうって思うくらいひどかったので、これは置いて行けないだろうと」
最後は男気である。
同じタイミングで北海道に移籍し、そこで苦楽を共にしてきた一回りも上の “兄貴” を放っておくことはできない。そんな思いもまた、桜井を慰留したのである。
文 三上太
写真 B.LEAGUE