── 身長は伸び続けていたんですよね。
はい、中3のときには188cmぐらいになっていました。もっともデカいだけで何もできない選手でしたけど。
── その後、北海道の強豪、東海大付属第四高校(東海大札幌高校)に進学なさいましたが、それもやはり身長を買われたということでしょうか。
そう思います。ほんとにこれといって秀でたものがあるわけじゃなかったですから。ただ東海大第四から近畿大に行って実業団の住友金属に入った従兄がいて、自分もバスケットで実業団に入れるかもしれないと思ったんです。超甘い考えですけど、身内にそういう人がいると、なんか自分もそのルートを辿れるような気がするじゃないですか。もちろん東海大第四の練習が厳しいことは聞いていましたけど、将来実業団に入るためにはまずここからだという思いがありました。
── 実際に入学してみて、いかがでしたか?
大変でしたよ。入学して間もない春のことだったと思いますが、ある日寝ていて金縛りにあったんです。自分は霊感とかないのにいきなり金縛りにあって全身が動かなくなったんですね。なんだ、なんだ、部屋に霊がいるのか!?と焦っていたら、それは単なる全身の筋肉痛でした。
── 霊感は関係なかったですね。
関係なかったです(笑)、けど、本当に全身金縛り状態でものすごく痛かったんですよ。田舎の中学でのんびりバスケをしていた自分にとって東海大第四の練習はそれほどハードだったということです。
── 家に帰りたいとか思いませんでしたか?
チラッと思いました(笑)。けど、寮に入るために家を出るとき、父親から「何があっても絶対に帰って来るな」と言われたんです。うちの父親はそういうことを言うタイプじゃないのに、そのときははっきりそう言い渡されました。だから、もし途中で逃げて帰ったらえらいことになるかもしれないと(笑)。父親は僕の弱さを見抜いていたのかもしれませんね。
── 試合に使ってもらえるようになったのはいつごろですか?
それがですね。僕は1年生のインターハイ決勝の舞台に立っているんですよ。柏木さん(真介・シーホース三河)が3年のときのインターハイです。相手は新潟商業で、結果的にはうちが負けたんですけど、永野(進)監督から「立っているだけでいいから決勝の舞台を経験してこい」と、コートに送り出してもらいました。右も左もわからず言われたまま立っていたら、いきなり柏木さんの高速パスが飛んで来て当然のごとくキャッチできず(笑)。後でめちゃくちゃ怒られたのを覚えています。うれしいような苦いような思い出ですね。でも、1年生で決勝の舞台を経験できたのはラッキーだったし、ビッグマンが走るスタイルの東海大第四で3年間鍛えられたのはよかったなあと思っています。