3年間で1番思い出に残っているのは2年次のウインターカップ決勝だと言う。相手は前年の決勝戦で敗れた明成(仙台大学附属明成高校)。「その年のインターハイでは明成を破って僕たちが優勝したんですが、やっぱりウインターカップはウインターカップ。みんなリベンジに燃えていました。キャプテンの鳥羽さんや津山さん(尚大・アルバルク東京)、野口さん(夏来・群馬クレインサンダース)の3年生たちが引っ張ってくれる中で、僕や牧は自由にやらせてもらっていましたが、最後の最後で逆転されて負け。あんなに悔しかったことは初めてで、今でも忘れられません。ただあの悔しさを含め大濠ではいろんな経験ができたと思います。大濠には『努力する文化』があるんですね。みんながあたりまえに努力をする環境の中にいると努力することが習慣になります。自分が大濠の3年間で得た1番大きなものはそれですね。努力する習慣を身に付けられたことです」
と、ここまでの話を聞いて浮かび上がってくるのはまじめにバスケットと向き合う少年の姿。気ままな猫のイメージはない。しかし、一瞬「うん?」と首を傾げたのは筑波大進学について語ったときだった。
「筑波に行こうと思ったのは、高校を決めたのと同じで青木さんや杉浦さんといった(大濠の)先輩から『筑波はすごくいいよ』と聞いていたのが大きいです。それに国立校で学力も高いし、勉強すれば教員免許も取れます。バスケでも歴史がある名門校だし、インカレも2回優勝しているし、迷う理由がありませんでした」
と、入学する動機としては納得できる答え。が、そのあとにボソッと付け加えたのは「どっちみち自分は試合に出られるとは思っていなかったですし…」── えっ? 筑波大に入ったとしても自分が試合に出られると思っていなかった? 驚いて聞き返すと、「はい、思っていませんでした」と、ケロリと答える。「だって先輩たちがめちゃくちゃすごいじゃないですか。僕が筑波の試合を見たのは笹山さん(貴哉・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)がキャプテンのときのインカレ決勝で東海大を破って優勝したときです。テレビで見ていたんですが、3年生には生原さん(秀将・横浜ビー・コルセアーズ)や満田さん(丈太郎・京都ハンナリーズ)がいて、すっごくハードなディフェンスをしていました。大学生とはそれまでも何回か練習試合したことがあって、そのときもフィジカルの差を痛感していたんですね。それが筑波となると、またレベルが違います。テレビを見ながら、このチームに入っても自分の出番はないだろうなあと思いました」
うーん、普通なら「レベルは高いけど先輩たちに負けないよう頑張ります」とか「早く試合に使ってもらえるよう頑張ろうと思いました」とか、まあ、だいたいそういった言葉が返ってくるものなのだが、入る前から「自分の出番はないだろう」と思っていたとは!
自分を過小評価するタイプなの? と聞くと、「うーん、別にそういうことはないと思います」と答える。よほど自信がなかったということ? と聞くと、「どうだろう。そうだったような気もします」と答える。なんかはっきりしないなあ。けど、はっきりしないことをカッコつけずそのまま口にする彼はきっと正直者なのだろう。それともこれが青木の言う「あいつは普通の枠に収まらないヤツなんですよ」ということなのか。いずれにせよ、このとき増田が描いた「出番がない自分」の姿は間違っていた。それも徹底的に間違っていた。筑波大に入った後、彼はやがてチームの主軸となり、さらには大学バスケット界の次代を担うホープとして期待される存在になっていくのだから。
文 松原貴実
写真 B.LEAGUE
画像 バスケットボールスピリッツ