『負かしてやりたい』気持ちが原動力だった学生時代
今シーズンのルーキーは豊作であり、その期待値は高い。八村塁(ワシントン・ウィザーズ)と同世代の彼らはU17とU19ワールドカップに出場し、世界と対峙してきた経験の持ち主である。ウインターカップやインターハイなど高校の頃から注目を集めた選手たちに対し、「一番はやっぱり悔しい」という思いで見てきたのが大浦颯太だ。
大浦が通っていた広陵高校は広島県内では強豪だったが、全国の舞台に立つことはなかった。日本体育大学へ進んだ当時は関東大学リーグ2部におり、大学日本一を決めるインカレ出場までに3年の月日がかかった。学生時代は全国大会が行われている時期に「何が足りなかったのか、自分自身にも課題があった」と見つめ直し、気持ちを切り替えて新シーズンへの準備をはじめる。
「次のレベルに向けたスキルを得るためにワークアウトに励んだり、トレーニングをしたりすることが大事です」
高校時代は有望な選手を集めたライバルに対し、「(推薦枠のない)うちらに負けたら恥ずかしいだろうな、とひねくれた心がありました」。大学時代も「2部から這い上がって、強豪校を倒したい」という大浦は、飄々としたプレーや表情とは裏腹に、内なる闘志を燃やし続けてきた。
「学生時代は『負かしてやりたい』という気持ちが強かったです。本当にそれだけでバスケをしていたけど、結局は勝てずに悔しかったです」と結果には結びつかなかったが、自らの殻を破ることを繰り返す大切な時期でもあった。広島ドラゴンフライズのヘッドコーチだった佐古賢一氏と高校の先生が懇意にしていたこともあり、佐古氏が現役時代に行っていた練習方法を知ると、すぐさま取り入れた。
「3Pシュートの練習中、5ヶ所から各100本を打って70%入らなければもう一度やり直していたという話を聞きました。高校の時にそれくらいやらなければいけないとも言われて、同じようにシュートを打ち続けていました。500本を打って、70%入らなければ600〜700本になるので、2時間以上はかかっていたと思います」
高校バスケの華やかな舞台にこそ立てなかったが、そこに出た同世代の選手同様、またはそれ以上の努力を積み重ねてきた。日本体育大学時代も2部ではあったが、1部のチームに勝つことを想像し、常に高いレベルを設定してきた。大浦にとって初となる大学3年時のインカレでは2回戦で強豪筑波大学と対戦し、81-83とあと一歩のところまで苦しめる。大浦は27点を挙げ、努力の成果を発揮した。4年生になった翌年、彼らにとっては初の1部リーグにも関わらず、4位の好成績を収め、平均4.2本でアシスト王にも輝いた。
「高校までは無名で、そこから縁があって日体大に進むことができ、1部でもアシスト王になることができました。可能性はゼロではありません。自分次第でプロにもなれるということを、今は実感しています」
逆境をはね除けてつかんだプロ契約
今年のルーキーが大学入学時にBリーグが誕生し、プロに照準を合わせる選手が急増する。しかし、当時2部の大浦にとっては具体的に思い描けずにいた。3年目にインカレへ出場できたことで「プロから評価されているという話を聞き、そこから意識するようになりました」と状況が一変する。努力しながら逆境をはね除けたことで、2020年2月に秋田ノーザンハピネッツとプロ契約を交わすことができた。