失うものはなにもない
山形南高校卒業後、スラムダンク奨学金第7期生として進んだサウス・ケント・スクールでアメリカの空気を吸った。2015-16シーズン、19歳の村上駿斗が地元の山形ワイヴァンズでプロとして歩みはじめた。1年目はNBLの下部リーグとなるNBDL、その翌年に誕生したBリーグでもB2からのスタートだった。
3つのチームを渡り歩いたB2での4シーズンは、常に全力を尽くし、誇りを持って戦ってきた。「ずっと1部(B1)でプレーしたかった」という目標が原動力にもなった。昨シーズンを終え、ライジングゼファー福岡を去ることが決まった村上のもとに、滋賀レイクスターズからオファーが届く。B1で戦うチャンスがついに巡ってきた。
「契約前の交渉時に社長、GM、ヘッドコーチ、アシスタントコーチが揃って、ミーティングをする機会を作ってもらえました。契約時にヘッドコーチが決まっていないことはよくありますが、そのためにコーチが求める選手ではなかったり、合わなかったりする問題が起きることもありました。でも、今回は契約前にショーン・デニスヘッドコーチが決まっていたことが僕にははじめてで、どういうバスケをしたいのか、どういう目標を持っているのかなどを話し合い、実際にプレーを見てもらってから契約に発展できたので、個人的にはそれがすごくうれしかったです。そのおかげで、オフ期間の準備や今のプレータイムにつながったと思っています」
村上の特徴を分析した上で、「攻守において成長させる自信がある」というデニスヘッドコーチの言葉に勇気をもらった。「リングへアタックし、アグレッシブにオフェンスを展開してチャンスをクリエイトする」という期待通りのプレーを見せたホーム開幕戦では、挨拶代わりの二桁得点でB1デビューを飾る。
「失うものはなにもないと思ってプレーしています。元々、評価が高いわけではないですし、ミスを恐れずに思い切ってプレーし、逆に上手くできれば評価してもらえるという気持ちで開幕戦に臨みました。B2から来たばかりで相手もまだスカウティングができていない部分も多いし、マークされることもないということも分かっていたので、ガンガン攻めていこうと思っていました」
マークが厳しくなり、フィジカルの差を痛感
17点、16点、15点と開幕戦から3試合連続して二桁得点を記録する。しかし、その後は相手のマークも厳しくなり、得点が減っていった。「簡単にボールをもらえなかったり、オフボールでパスをもらうタイミングを読まれたり、身体をぶつけられてポジションやタイミングをズレさせられるというプレーがすごく多いと感じています」という村上は、B2とのフィジカルの差を痛感する。また、コロナ禍によって合流が遅れていた外国籍選手が加わったことで、「コーナーで待つプレーは僕の得意なプレーではないです」というオフェンスの変化にも少なからず影響があった。