入社後はスーツを身に付け、朝8時30分から17時10分まで業務、18時30分から20時30分までチーム練習を行い、30分ほど自主練をして21時過ぎに体育館を出るのが日課となった。仕事とバスケットの両立は大変ではあったが、すぐにチームの主軸となり、社会人地域リーグチャンピオンシップ準優勝、国体3連覇に貢献。働くバスケマンとしての日々は充実していたように見える。4年目にして大矢はなぜプロの世界に飛び込もうと思ったのだろうか。
「実は(JR東日本秋田に入り)1年経ったころにBリーグのチームから声をかけていただいたことがありました。でも、そのときは周囲から反対の声が多かったこともあり踏み切れなかったんですね」
職場の人たちの応援を背にバスケットに励むことにやりがいを感じていた。仕事とバスケの両輪を回す生活に不満があったわけでもない。それでも「安定した今の生活を捨ててでもプロの世界に挑戦してみたい」という思いは時とともに胸の奥で膨らんでいった。
「新潟から声をかけてもらったとき、今度は一切迷いませんでした。すべての環境が変わることに怖さがなかったかと言えば嘘になりますが、今年26歳になる自分にとってこれが最後のチャンスだと思ったし、ここで挑戦しないと絶対後悔すると思ったんです」
ディフェンスからのブレイクを持ち味とした新潟は、高校、大学で鍛えられた自分のディフェンスと走力を活かせるチームだ。「それにアルビレックスは自分が生まれて初めて生でみたプロチームでもあるんです」。bjリーグの前座試合に出たのは小学6年のとき。「プロの選手ってなんてすごいんだろう」と興奮した。その試合のコートに立っていたのは後に高校、大学の先輩となる池田雄一だ。「その池田さんと同じアルビレックスでプレーできることになるなんて、すごいというかなんというか、とにかく超うれしいです(笑)」
もちろん、喜んでばかりはいられない。26歳で選んだプロのコートが厳しい場所だということは十分承知している。
「外国籍選手とマッチアップすることも多いので今までみたいに簡単にリバウンドは取れません。190cmの自分がゴール下で戦うためには相手をかわすスキルも必要になります。自分の武器となる走力やディフェンスももっともっと磨いていかなければならないし、3ポイントシュートの精度を上げることも課題の1つ。ステップアップするためにやるべきことは山のようにあります。でも、今考えているのはコートに出たらたとえ短い時間でも自分がやるべきことを100%やり切ること。少しでも勝利に貢献することが目標です」
高校でも大学でも、入ったときは「この中で自分が1番下手くそな選手だ」と思っていた。いつでもそこからのスタートだった。どんな状況でもめげずに前を向く自信はある。
「ここからまた成長していけるよう、努力あるのみです!」── 26歳のプロ1年生、大矢の最後のひと言は自分に言い聞かせるかのように力強かった。
文 松原貴実
写真 B.LEAGUE
画像 バスケットボールスピリッツ