「あの3番の選手はだれ?」── 9月6日に行われた新潟アルビレックスBB─秋田ノーザンハピネッツのプレシーズンマッチ第2戦、躍動する新潟のニューフェイスに観客の視線が集まった。その3番の選手とは今シーズンJR東日本秋田から移籍加入した大矢孝太朗26歳だ。持ち前の脚力を武器に果敢にゴール下に攻め込み、この日は日本人選手チームハイとなる16得点をマークした。「秋田との1戦目は外国籍選手とマッチアップすることにビビってしまい何もできないまま試合が終わってしまいました。その反省から2戦目はブロックされてもいいから強気で行こうと気持ちを切り替えられたのが良かったと思います。技術的にはまだ足りないものがたくさんありますが、まずは気持ちで負けないこと。あらためて、強いメンタルで試合に臨むことが大切だと感じた試合でした」
その言葉が示していたのは、3年間プレーした実業団チームを離れプロになる道を選んだ大矢の覚悟だったかもしれない。
新潟県村上市で生まれた大矢は小学4年生のときにバスケットを始め、新潟商業高校から東海大学に進んだ。地元の名門高校から全国でも名高い強豪大学へ…という図は一見するとエリートコースのようにも見えるが、意外にも本人は「中学でも高校でも1番下手くそな選手でした」と言う。「中学では184cmぐらいあってセンターをやっていましたが、基礎もしっかりできていなくて、今振り返っても下手くそだったなあと思います。身長が高かったおかげでジュニアオールスターのメンバーに選んでもらって、それがきっかけで新商(新潟商業)に進めましたが、同級生の中では間違いなく1番下手くそ。1年のときはベンチにも入れず、練習では毎日怒られていました」。が、それでもめげることはなかった。「やっぱりバスケが大好きだったから少しでも上手くなりたいと、それしか考えていなかったです」。
試合に出られるようになったのは2年の途中。「自分たちの代になった年はインターハイもウインターカップもベスト16でしたが、県大会の僕のプレーを見てくださった方がリクさん(東海大・陸川章監督)のお知り合いで、それが縁で東海大に進むことになりました」。東海大が強いことは知っていた。自分なりに覚悟を決めて入ったつもりだ。「けど、練習のレベルが自分の想像をはるかに超える高さで、初日から圧倒されました。ここでも自分が1番下手くそに思えて、4年間やっていけるのか不安になったのを覚えています」。しかし、高校時代と同様、そこでめげないのが大矢の強さだ。3年になるころから交代メンバーとして起用されるようになり、4年になると主力メンバーとしてしっかりチームを支えるようになる。なかでも最後のインカレ決勝戦(対筑波大)で見せたゴール下での攻防が印象深い。勝利は叶わなかったものの、怯むことなく身体を張り、激しいぶつかり合いを制してリバウンドをもぎ取る姿には4年間積み上げてきた大矢の努力の跡がはっきり見て取れた。
その大矢がプロの道を選ばず、実業団チームに入ったのにはこんな理由がある。
「大学3年のリーグ戦が始まったころ。練習で右足靭帯損傷という大ケガを負いました。全治5か月と言われ、そんなに長くバスケットから離れるのは初めてだし、チームには力がある下級生たちも育ってきているし、自分は4年になったら試合に出られなくなるんじゃないかという考えが頭をよぎりました。そんなときJR東日本秋田からお話をいただいたんです。求められていることがうれしくてこのチームに入ろうと思いました」