慣れ親しんだオレンジの「着心地はすごくいいです」
2000年に誕生した日本最古のプロバスケチームであり、今年は20年目のアニバーサリーイヤーとなる新潟アルビレックスBB。新潟出身、当時16歳だった佐藤公威は「誕生のニュースをリアルタイムで見ていました。あれから20年が経ったんだという思いと、いろんな先輩方が築いてきた新潟という思いが僕の中にはあります。ものすごく大事にしたいチームであり、この節目の年にさらに良いチームにしていきたいです」と4シーズンぶりに帰ってきた。
新潟ひと筋15年目を迎える池田雄一は、「あぁ、そうなんだ」と素っ気なく迎えたそうだ。「あの方は意外と淡泊なので、ひと言で終わりました。でも、一番喜んでくれていると思います」と長年の付き合いだけあり、その性格を熟知する。慣れ親しんだオレンジ色のユニフォームは、「やっぱり着心地はすごくいいです。全然違いますね」と言い、ファンにとってもしっくりくるはずだ。
昨シーズンまでは島根スサノオマジックで、それ以前には大分ヒートデビルズと、地元を離れたことが2度ある。「自分の思いだけで残ることができないのは事実です」という契約社会のプロは厳しい世界である。しかし、佐藤の場合は「新潟を離れて挑戦したい気持ち」と「プロとしてオファーがあることは選手冥利に尽きる」と求められて移籍してきた。しかし、その度に「やっぱり新潟を離れるのは苦渋の決断だった」と明かし、移籍後も地元のことを気にかけていた。
「新潟が盛り上がっているシーズンもありましたし、いろんな意味で負けたくない気持ちが常にありました。同時に、もう一回新潟でプレーしたいという気持ちがあり、そっちの方が段々と強くなっていき、この決断に至りました」
島根ではB2降格、B1へ再昇格という「すごくタフな」経験をした。「B1は勝たなければいけない、B2では負けられないというものすごい温度差の中での戦いは大変でした」と振り返り、同じ思いをさせないためにも経験を生かしていく。
昨シーズンは特別指定選手として、島根でともに戦った納見悠仁も一緒に新潟にやって来た。「堂々としており、本人が調子悪いと思っていてもまわりの選手は平然にやっているようにしか見えない。それで試合のイニシアチブを取れています。ポイントガードが落ち着いていれば、みんなが安心してプレーできます。黙々とできるタイプであり、ボールハンドラーとしてまわりを生かすことができる。得点能力もあり、すごく頼りになる選手です」と佐藤は期待を寄せる。
与えられた環境でどれだけ切磋琢磨できるか
bjリーグが誕生した2005年、6チームに26人がドラフトされた。新潟が1位指名(※前シーズンからプロテクトした選手が多かったため、4巡目指名)したのが佐藤だった。JBLで戦っていた新潟を見て育った佐藤は、「伝えたいことは山ほどあります」と語りはじめる。
「bjリーグ時代は2つのリーグがあり、JBLの方が実業団だけどレベルが高いという風潮がありました。それでもプロと言われる中で成長したい、勝ちたい、JBLの選手たちをやっつけたいという気持ちは正直ありました。いろんな局面で、JBL側の方が環境は良かったと思います。でも、そこで感じたことは、与えられた環境でどれだけ切磋琢磨できるか、それに尽きます。今でも、あのときに学ぶことができて良かったと感じながらプレーしています」