── 小松選手はなぜ縁もゆかりもない佐賀を選んだのですか? 当時、プロでのキャリアも11年を終えた、いわばベテランだったわけですが。
小松 正直に言いますと、前に所属していた奈良からも契約延長の打診をされていたんです。でも条件がなかなか合わなくて保留にさせてもらっていました。そのとき、これもちょっとおもしろい話というか、僕自身の人生にもつながるんですけど、コーチライセンスを取得する講習に行ったんですね。実はそこで竹原さんに一度会っているんです。そのときの講習ってBリーグの選手やスタッフなどが多く受けていたんですけど、竹原さんは明らかにバスケット選手の服装じゃないんです(笑)。しかもセカンドバッグを持ってくるので、周りがざわつくわけです。あれ、誰よ? って(笑)。講習が始まって、どうやらあの人は佐賀の社長らしいぞと噂で聞くわけですね。2日間の講習が終わると、みんなが竹原さんに挨拶に行くんですよね。「ぜひ名刺をください」って。でも僕は正直な話、佐賀には興味がなかったんです。B3だったし、縁はないなって思っていたから、「2日間、ありがとうございました。失礼します」って言って、バーッと帰っていったんです。その3日後ですね、竹原さんから電話があったのは。自由契約リストに載せてもらっていたけど、他チームからのオファーもないし、奈良に残るしか選択肢がないのかな、でも奈良に残ったら自分がダメになるな、終わってしまうなって思っていて、だったら教員免許を持っているから、そっちの道に進もうかなって気持ちをシフトしていたんです。妻にも「明日、高校の先生に相談してみるわ」と伝えて、午前中に整骨院に通っていたから、「午後、時間を見つけて高校の先生に電話をしてみるよ」って話をしていたんですね。そして翌日の午前中に整骨院に行っているとき、知らない番号から電話がかかってきたんです。
「佐賀バルーナーズの竹原です」
「あ、このあいだの講習会でご一緒した……どうも、こんにちは」
「実はオファーしたくて電話しました」
そんな感じで話が進んで、次の日には奈良に来ていただいて、すぐに移籍を決めましたね。
── 新規チームである佐賀にベテランの力が必要だと?
小松 あとで竹原さんから聞いた話なんですけど、ルイスヘッドコーチが「取れ」と言うので、僕を取りたかったらしいんですよね。コーチライセンスの講習で一緒になったのは本当にたまたまで、初日のグループワークで一緒のグループになったとき「あ、小松選手だ。どんな人なんだろうな」と思っていたら、すごく丁寧で、しっかりと話ができる人だと。受講者の多くはバスケ選手なんですけど、選手じゃなくてもしっかり話ができる人だという印象を持ってくれたらしいんです。それが竹原さん自身も僕を獲得しようというきっかけになったようです。結果的には僕自身も丁寧に接してよかったなって思っています。
── 縁がないと思っていたチームに、実は縁があったと。
小松 そうですね。しかも学校の先生になろうかと思っていたタイミングだったので、もし一日でもずれていたら、相談する先生にも謝らなければいけなかったし、今、バスケット選手としてここでインタビューを受けていなかったと思うんです。正直、奈良に残っていたら、僕はすでに引退していましたから。佐賀バルーナーズというチームが僕の、選手としてのキャリアをつないでくれました。だから今も感謝していますし、何か恩返ししなければいけないと思ったときに僕はプレーでそれをするしかないと思っています。