part1「日本人ビッグマンの需要が急低下した新レギュレーション」より続く
能代工高のオーラと田臥勇太との衝撃的な出会い
時は1998年、一人の高校生が日本バスケ界を席巻していた。能代工高に入学したときからチームを支配し、全国大会負けなしでインターハイ、国体、ウインターカップの高校タイトルを総なめにしていく。その話題の中心にいたスーパースターが、能代工高の田臥勇太(宇都宮ブレックス)だ。
9冠目を賭けた最後のウインターカップ決勝の相手は市立船橋高校、鵜澤が2年生のときである。当時はテレビ朝日で中継され、まだバスケに従事していなかった筆者もたまたま見ており、鮮明に記憶している。東京体育館を満員にした観客の視線を釘付けにするのは田臥であり、能代工高の方だ。だが、絶対王者を相手にふてぶてしいプレーをする2年生ビッグマンに、アンチヒーローとして魅了されていった。「今だから、正直に言いますよ」と、22年前のあの大会を鵜澤自身が振り返る。
「下馬評では、仙台高校が上がってくると思われていました。インターハイは3位でしたが、国体ではすぐに負けてしまっていたので。正直、(準決勝で)仙台高校に勝ったときに申し訳ない気持ちがありました。仙台高校は(佐藤)久夫先生(現・明成高校監督)の下、みんな一生懸命努力していたチームでした。でも、市船の先輩たちも最後の年は、目の色を変えてバスケに取り組みはじめ、『これは強い』と思いました。仙台高校とは何度か練習試合をしましたが負けた記憶がない。だから、当たったら勝てると思っていたし、相性は良かったです。でも、下馬評のこともあり、僕らが勝ってしまってなんか申し訳ない気持ちも正直ありましたね」
最高潮の盛り上がりとなった能代工高との決勝戦は、76ー98で9冠を阻むことはできなかった。「やっぱりオーラがあった」という能代工高や37点を挙げた田臥を、高校2年生の鵜澤にはどう映っていたのだろうか?
「こっちは勝つ気満々でいましたが、試合前から圧倒されてしまっている部分も正直言ってありました。田臥・菊地(勇樹)・若月(徹)のトリオは本当にすごかったです。今もウインターカップを観てはいますが、なんだかんだ言って一番強いんじゃないかな。ウィングが走って、田臥さんがバァーっとドリブルで運んで、ワンパスで菊地さんにさばいて3ポイントをボンッ。前からゾーンプレスをバァーッて当たるみたいな、おもしろかったですよね。あのメンバーがいたからこそ成り立ったと思いますが、ついつい妄想しちゃいます。田臥さんの能代工高と河村(勇輝)くんの福岡第一の対戦。その二人が高校生同士のマッチアップも見てみたいですよね、絶対に叶わないけど」
同じ妄想をする人は少なくないはずだ。40歳となった今なおBリーグを牽引する一人であるひとつ年上の田臥のすごさを、鵜澤少年は中学時代に目の当たりにしている。
「やっぱり“田臥勇太”はハンパなかった。はじめて見たときから衝撃でした。田臥さんが中3のときの全中が千葉で行われていたので、せっかくだから観に行こうとなったんです。大道中学校がすごいと言われていたけど、パンフレットを見ても特別大きい選手がいるわけじゃない。なんでこんなチームが全国に出られるんだろうと思って実際に見たら、一人だけハンパないプレーをする選手がいたわけです。今思えば、それが田臥さんでした。こんな中学生がいるのかというほど衝撃的でした」