「NBAウィークリーという番組があり、それを見るのが本当に楽しみでした。毎回録画して、オラジュワンのプレーは何度も見て研究していましたね」と昔話に花が咲く。NBAウィークリーとは、毎週日曜の昼下がりにテレ東で放送されていたダイジェスト番組である。司会のドナ・ウィニキーの名前を出せば、「そうです、そうです!それを見るのが本当に楽しみでした」と手を叩き、グラスに注がれたビールを飲み干していった。
鵜澤がNBA選手を手本にしていたのと同様に、竹内譲次(アルバルク東京)は高校時代の鵜澤のプレーをテープがすり切れるまで見ていたそうだ。「お手本にしてもらっていたと以前に聞いていて、そのときはすごくうれしくなっちゃった。譲次とマッチアップしたときにオレと同じようなステップするな、と思うときがちょっとあったんです。僕のマネをしてくれるのは悔しい反面、うれしいのが正直な気持ちですね」と鵜澤は顔をほころばせる。「やっぱり譲次、公輔(宇都宮ブレックス)にはまだまだがんばって欲しい。ずっと日本を引っ張ってきた選手ですしね。年齢は関係ないし、まだまだできる」とエールを送った。
話は戻り、中学時代はシューティングに明け暮れた鵜澤が、ゲーム中に本格的にアウトサイドシュートを打ちはじめたのは市立船橋高校2年のとき。鈴木監督から「お前はシュートが上手なのだから、将来的にそれを武器にしていけ」と背中を押してくれた。高校3年になり、最後のウインターカップへ向けて3番ポジションを練習する。
「外からのシュートも調子が良かったですし、ディフェンスでリバウンドを獲ったあとは自分でドリブルを突いて運んだりもしていました。3番は楽しかったです。ただウインターカップ1回戦の相手は北中城であり、強豪でした。試合前、先生から『ゴメン、やっぱり5番やってくれ』と言われ、3番は幻に終わってしまいました」
続けてつぶやくように、「あのときにもっと3番の練習をしておけば良かったな」とは、先に挙げた新レギュレーションのせいかもしれない。
part2「能代工高のオーラと田臥勇太との衝撃的な出会い」へ続く
文 泉誠一
写真 泉誠一、B.LEAGUE
画像 バスケットボールスピリッツ編集部