2012年に中村氏がチームを退団すると、フェニックスカップの流れを汲む「KAZU CUP」が主催者を変えて生まれ、「フェニックスカップ」はその名称を同じ豊橋市にある桜丘高校が中学生向けの招待試合として2017年、2018年に使うに留まっていた。それが今年、上記のような経緯で9年ぶりに三遠が主催することになった。
出場したのは男子11チーム(106人)、女子10チーム(98人)の計21チーム(204人)。
感染予防のため、コートレベルに降りられる選手は試合をするチームとオフィシャルのみ。しかもオフィシャルと、ベンチに座っているメンバーは原則的にマスクを着用しなければならない(例外はプレー直後で息の上がっている選手。息が整うまでマスクをしなくてもよい)。それでも試合に熱くなってマスクを外すベンチメンバーがいると、北郷社長をはじめとしたスタッフがベンチの後ろに回って、マスク着用を促すシーンも見られた。2階の応援席もチームごとに区切り、開閉会式も「ソーシャルディスタンス」を取るなど会場を目いっぱい広く使った形でおこなわれた。
ボランティアスタッフの中心として大会運営に携わった、市内の中学校でバスケット部の顧問をしている大須賀浩さんは言う。
「バスケが好きな子からすると本当に悔しい思いをしていたと思うんです。特にこの大会に出ている南部中学さんは県大会でも優勝しているチームなので、夏の総体でももちろん全中出場を目指していたと思うんです。それがなくなってしまったのは子どもたち自身も、保護者の方もショックだと思います。上には繋がらない大会だけど、こういう機会があるのはいいことだと思うし、それを三遠さんが主催してくれたのはすごくいいことだと思います」
誰も何もしなければ、彼らの中学バスケットは最後の思い出を作ることができずに終わっていた。しかし少なくとも豊橋市では三遠が動き、地元の有志が動き、豊橋市さえも動いた。それに感謝すべきだ、などと言うつもりはない。ただこの2日間が彼ら、彼女らにとって、どんな思いであれ、何か記憶に残る一片であってほしいと願う。結果として完敗に終わるゲームだったとしても、同じ中学校のバスケット部で3年間頑張ってきた日々は、大人になっても色褪せることがない。中学時代の記憶は、北郷社長に限らず、多くの大人にとっていつまでも瑞々しく、輝きを失わないものなのだ。
北郷社長が言う。
「今回をきっかけにして、9年ぶりに開催したフェニックスカップが素晴らしいものになるのであれば、定期的にやっていくべきかなとも思っています」
日本のみならず、世界中がどこか息苦しさを感じる今、それでも細心の注意を払いながら、次世代の子どもたちが次のステージへと進むきっかけを作った「フェニックスカップ2020」。そこには三遠が掲げる「スポーツを通じて子供たちの人間力を高め、地域から世界で活躍する人材を輩出し、個人そして地域の豊かな生活の創造に貢献したい」という理念もしっかりと反映されている。苦しい時期にあってなお、いや、苦しいときだからこそ、地域とともに発展のために挑戦し続ける三遠をこれからも注目したい。
文・写真 三上太