暦の上では夏が終わり、秋が始まった8月6日、7日(7日が立秋)の両日、豊橋市総合体育館で「フェニックスカップ2020」が開催された。サブタイトルには「コロナに負けない中3最後の夏」とある。新型コロナウィルスの影響で、夏の総体などさまざまな大会の中止を余儀なくされた地元の中学生、とりわけ中学生活最後の大会を失った3年生のために、思い出となるようなプレーの場を提供しようという大会だ。主催は豊橋市に本拠を構えるBリーグの三遠ネオフェニックス。北郷謙二郎社長が大会開催の経緯を明かす。
「我々も昨シーズンの途中で終わって、とても悔しい思いをしました。最後までやりきれなかった。中途半端な形で終わってしまった。それと同じ思いを子どもたちにさせてしまっている現状を何とかできないか。保護者の方からもそういう声が上がっていると聞いたので、ならばぜひ『フェニックスカップ』をやろうということになったんです」
プロと中学生とでは、もちろんプレーのレベルは異なる。しかしバスケットに傾ける情熱や、バスケットが好きだという思いに大きな差はない。公式戦ではないにせよ、選手それぞれの中学バスケットを他チームとの試合で締めくくらせてあげたい。そこには北郷社長自身の中学バスケットに対する強い思い入れもあった。
「私はミニバスケットの全国大会に出ているんですけど、そのときのメンバーがそのまま同じ中学に進んで、そこに新しいメンバーが加わりました。でも顧問の先生はバスケットが専門の方ではなく、毎日自分たちで試行錯誤しながら、先生と一緒になって大会に出ていたんです。最後は九州大会の準々決勝で負けてしまって……もう一歩というところで全中には行けなかったんですね。それが悔しくて悔しくて、試合の後みんなで号泣したんです。でも泣いたその夜にはみんなでワーッと楽しんでいた。そんな思い出は今もずっと心の中に残っています。高校に行くとより精鋭が集まって、バスケットの質も変わった感じがしたんですけど、だからこそ地元のメンバーで戦った中学時代のバスケットは人知れず思いが強いんです。中学バスケは、高校バスケとはまた違う、特別なものだったんです」
1980年生まれ、いわゆる「田臥世代」のひとりとして宮崎・県立小林高校をインターハイ・ベスト8、ウインターカップ・ベスト4に導き、卒業後はカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校に留学。同大学3年次にはヤングメン(U-21)日本代表として、同世界選手権にも出場している。大学を卒業すると三遠の前身であるオーエスジーフェニックスに入り、スーパーリーグで準優勝。アメリカ留学のパイオニア的な存在といっても過言ではなく、実力的にも世代のなかでトップクラスにいた北郷社長でさえ、中学時代の思い出は今なお色濃く残っている。
フェニックスカップ自体はそもそもオーエスジーフェニックスを率いていた中村和雄氏が高校生向けに始めた招待試合だった。今シーズン、三遠のキャプテンを務める寺園脩斗や、サンロッカーズ渋谷のベンドラメ礼生、アルバルク東京の安藤誓哉、名古屋ダイヤモンドドルフィンズの狩野祐介らも高校生のときに参戦している。