バスケ人生で初めての大ケガ
1月12日、天皇杯決勝の舞台となったさいたまスーパーアリーナは勝敗を決する最後の時間を迎えていた。残り9.8秒。サンロッカーズ渋谷96、川崎ブレイブサンダース93。同点を狙う川崎の攻撃の場面でSR渋谷の伊佐勉ヘッドコーチは広瀬健太をコートに送り出す。「ここで自分がやるべきことはリバウンドだけだと思っていた」という広瀬は、辻直人(川崎)が放った3ポイントシュートがこぼれた瞬間一気にゴール下に飛び込んだ。激しい争奪戦をくぐり抜け、その手にしっかりボールを握ったのは残り0.8秒。相手のファウルから2本のフリースローが告げられると、沸き上がるSR渋谷ファンの歓声を聞きながらゆっくりフリースローラインに立った。「リバウンドに飛び込んで、あわよくばファウルをもらおうと思っていたのでフリースローは想定内。緊張はしませんでした。落ち着いていたと思います」。放った1本目がゴールを通過し、この時点で勝利を確定させると、続く2本目もきっちり沈めて98-93。広瀬の顔から大きな笑みがこぼれ、SR渋谷は5年ぶり2回目の天皇杯優勝に輝いた。
休部となったパナソニックトライアンズから移籍して7年。広瀬は今のSR渋谷のメンバーの中で5年前の天皇杯優勝を知る唯一の選手だ。「それもあって『前回の優勝と比べてどうですか?』みたいなことをよく聞かれるんですが、ここ数年で(日本の)バスケットも変わってきました。(竹内)譲次さんが柱だった5年前のチームも強かったですけど、今年のチームのアイデンティティーはディフェンス。天皇杯を制したことでみんながそれを再認識できたのはよかったと思います。まあ、どちらの優勝もシンプルにうれしいことに変わりないですけど(笑)」。ただ、あえて2つの優勝の違いを挙げるとすれば、広瀬にとって今年のコートが“復帰の場所”であったことだ。「そうですね。正直、去年の大ケガからここまで来るまでは長かったです」
左膝前十字靭帯断裂という大ケガを負ったのは2018-19シーズン、2019年3月31日のことだった。「レバンガ北海道戦だったんですが、相手の選手の足の上に乗ってしまい転倒した瞬間、今までとは違う感覚がありました。これは大きなケガになりそうだと思ったのを覚えています」。全治までどれほどの時間を要するのかわからない不安。「だけど、少しでも早くコートに戻れるよう自分がやるべきことは1つだけでした」。目指すのは次のシーズンのコート。手術後、そこから広瀬の長く、地道なリハビリ生活がスタートした。
一方、2年連続でチャンピオンシップ進出を逃したSR渋谷は、新シーズンを見据えたチーム編成に着手していた。大黒柱として3年在籍したロバート・サクレの突然の引退は大きなニュースとなったが、それにも増してファンを驚かせたのは『チーム大改造』ともいえる大幅なメンバーチェンジだろう。関野剛平、渡辺竜之佑、田渡修人、野口大介、石井講祐の6人にセバスチャン・サイズ、チャールズ・ジャクソンの2人の外国籍選手を加え8人もの新メンバーが加入。チーム一の“古株”として広瀬は生まれ変わったSR渋谷をどのようにとらえていたのだろう。