「言葉ではもちろんですが、オンコートでも勝つバスケを伝えないといけないと思っています。京都時代もピンチの場面を、何度も引っ繰り返して勝ってきた。上手くプレーするだけでは、勝てません。ならば、どうすれば勝てるのか。それを伝えていく。全員が同じ色に染まるチームは、決して強くならないんです。選手それぞれの個性を発揮してもらって、それを僕がまとめて化学反応を起こさせたい。自分を変えることが必要な部分もあるでしょうし、ほかにもやることはたくさんありますが、今はそのどれもが楽しみ。僕自身としても、これまで自分が蓄積してきた経験を試したい。そうするのに東京Zは、今の僕にとって適した場所だと思っています」
筆者は彼が大阪でプロデビューしたbjリーグの2012-13シーズンから、取材者として接してきた。チームに結果をもたらせられず、あるいはケガに見舞われるなど苦悩する姿が多かったと記憶するが、バスケについてこんなにも晴れ晴れしい表情で語るのを見るのは、初めてだったかもしれない。
取材を終え、並んで帰り道を歩いていると、ふいに彼が言った。
「振り返ると京都では思いのほか長く、暮らしたんですよね。地元の神奈川以外では、いちばん長く住んだ街でした。プロのバスケ選手だからって近づいてくるのではなく、温かくサポートしてくれる人たちがたくさんいて、そんな人たちとは体温が伝わる関係でした。大好きな街だし、いざ離れるとなったら寂しいですよ……」
視線を遠くに移しながらそう言い、次に彼がこぼした言葉は、5シーズンにわたってプレーした京都ハンナリーズへの思い。
「ハンナリーズは僕を成長させてくれましたし、僕もここが自分の居場所なんだ、僕はここにいていいんだと、愛着を深く感じていました。大阪に移籍してまた戻ったときは、(浜口)炎さんを胴上げして、ここで終わる気持ちでいたんです。つねに必要としてくれて、僕のプレーをずっと認めてくれていた炎さんの存在は、自分にとってすごく大きいですね。今回の移籍に際して直接は話せませんでしたが、『シュンはトップレベルの選手だ。自信を持ってやれ』とメッセージをいただきました。あの言葉は、これからの僕の糧になります」
そして陽が沈みかけた街のなかを歩きながら、一度はコートを去ることを決断した男とは思えない強い口調で、未来への希望を口にした。
「今まで関西のチームにいたので両親や友達、恩師らに、あまり僕のプレーを見てもらえなかったんですよね。今度は東京なので地元と近く、プレーを見てもらえる機会が増えるのが楽しみです。僕が東京Zに入って、チームがどう変わるかも楽しみですし、それには責任がつきまとうことも自覚しています。でも今まで僕がやってきたことが伝われば、チームは必ず変わるでしょうし、僕としてもそれを証明したい。みんなを楽しませて、幸せにする。僕のキャリアの集大成として、それに挑戦します」
アマチュア時代はつねに、弱いチームを勝たせてきた。プロ選手になってからはトップカテゴリーで戦い続け、キャリアを重ねて新たな挑戦の舞台に行き着いた。それは彼にとって、原点回帰とも言える場所。このオフの動きのなかで、どこかのタイミングがひとつでもずれていたら、今季は確実にユニフォームを着ていなかっただろう。綿貫瞬を再びコートに戻らせたのは運命ではなく、宿命──。交差点で別れ、やがて小さくなる彼の背中を見ながら、そう思った。
文 カワサキマサシ
写真 アースフレンズ東京Z