京都ハンナリーズで4年間プレーした岡田優介がB2のアースフレンズ東京Zに移籍することが発表された。勝負どころで無類の力を発揮するシューターとして知られ、日本代表でも活躍したキャリアを持つ彼が35歳で選択した新たなチーム。「ファンの皆さんからはどうしてB2のチームなの?と言われるかもしれませんが、これは僕が“これからの自分のバスケット人生”を考え、その上で進もうと思った道です」── 明快なひと言に裏打ちされた岡田の決意をじっくり聞かせてもらった。
── 岡田さんのアースフレンズ東京Zへの移籍は正直予想外でした。移籍を決めるまでの経緯を聞かせていただけますか。
まず京都との契約更新がなくなって、次のチームを考えることになったわけですが、別に隠すつもりはなく結果的にいいオファーを得ることができなかったということです。京都との契約満了のタイミングも少し影響しているかもしれません。でも、これはある程度想定内とも言えたんですね。というのも、今はコロナの影響でどのクラブも(チーム運営の)予算が見えてこない厳しい状況にあります。そうなると多くのクラブが考えるのは、まずトップの主力選手を固めて、残りの予算でチーム編成することだと思うんです。客観的に見ると僕はミドルクラスで年俸もまあまあといったところ。B1のトップを狙うチームなら僕クラスの選手は足りているわけですね。予算面では「今年はキャリアよりも元気な若手選手を選ぼう」と考えたクラブが多かったはずです。そんな中で、もしかすると自分はあぶれる可能性があるんじゃないかと思っていました。でも、そうだからといって、どこでもいいからB1でプレーしたい、どんな条件でもいいから(B1で)プレーさせてくださいという気持ちはなかったです。それは違うと思っていました。
── 早く次のチームを見つけなくてはという焦りのようなものはなかったのですか?
なかったですね。そのとき思ったのは、いったん東京に戻ろうということです。もともと僕は東京出身だし、やっている事業の拠点も東京にあるし、次に行くチームがあってもなくても生活はしていけるだろうし。家族のことも考えるとそれが1番いいかなあと思ったんです。仕事がたくさんあるのは東京ですし。家族を不安にさせたくないというのもありました。
── 今、お話に出た『事業』ですが、岡田さんは現在3x3プロチーム事業、バスケットボールスクール事業と、2つの会社の経営に携わっていらっしゃいます。加えて公認会計士としての監査業務、会計塾の講師、さまざまな講演活動など活躍の場も幅広いですが、それらの仕事に専念するため『現役引退』という考えが頭をかすめることはなかったですか?
いや、僕は『引退』というのは嫌だったんです。仮に次のシーズンどこにも所属しなくても、なんで『引退』を宣言しなくちゃいけないの?今年やらなくても来年やるかもしれないじゃんって(笑)。で、さっきの話に戻りますが、焦りとかはなくて、むしろのんびりしていたというか、東京に戻って8月、9月あたりに経済状況が落ち着いてくれば「ここに一枠空いてます」という話も出てくるかもしれない、最悪話がなくてもきちんとトレーニングをして自分の身体を維持していたら、いろいろ正常化したときにチャンスが巡ってくるかもしれない、大きな話をすれば自分でクラブを経営するのもおもしろいかもしれない。と、いろいろ考えてました。そんな都合のいい話なんて無いかもしれないのに、究極のポジティブ男ですね(笑)。でも、まあそのとき一番大事だと思っていたのは、どこに行く、行かないじゃなくて、このタイミングで自分にできることをしっかりやろうということです。