part1「足首を固定したリーグ屈指のディフェンダー」より続く
生き方を貫くことで伝わる何かがある
2019年6月、栗原貴宏は長く付き合ってきた左足首の痛みを取るべく、「足関節固定術」をおこなった。これはその直前に負った右手首の骨折や、右足リスフラン関節の靭帯損傷の手術とは異なり、スポーツ界では前例のない手術である。栗原は2019-20シーズンを振り返るなかで、それを「復帰できるかわからない手術」だったと明かしている。
「復帰できるかわからない手術をして、明確なゴールもはっきり見えていなくて……担当の医師はだいたいの復帰時期を示してくれていたんですけど、なにしろ前例のない手術だったので、復帰時期も、その後の何が正解かもわからない。それでも復帰のために頑張っていたんですけど、当初の復帰予定よりも時間がかかってしまって……。チームにもいろんな変化があったし、自分のプレーする場所もなくなったと自分自身がわかっていたから、残り10数試合しかなかったけれども、新しいチームに行って、そこでプレーできたらいいなと考えていたんです。(コロナの影響で)結局2試合だけで終わってしまって、もう少しやりたかったなというのが率直なところです」
前例のない手術をする怖さはどれほどのものだっただろう。高い目標を掲げて、そのための努力を惜しまないアスリートにとって、復帰できるかどうかもわからず、明確なゴールも見えない日々は表現ができないほどの怖さではなかったか。
それでも栗原が手術に踏み切った。
そこには2つの理由がある。
ひとつは、引退後を含めた一人の人間としての日々を考えてのこと。
「手術前は普通に歩くだけで痛いし、階段の上り下りも一段一段進めていく感じでした。それくらい日常生活に大きな支障をきたしていたんです。だから手術に踏み切った一番の理由は日ごろの痛みをなくしたいというものでした。現役を退いてもまだまだ人生は長いので、この痛みをずっと抱えて生きていくのは本当にツラい、この痛みを取れるのであればやろうというものでした」
栗原らしい実直さはなおも続く。
「正直なことを言えば、これでバスケットがギリギリでもプレーできたら、儲けもんだなというくらいの気持ちでした」
トップアスリートも人である。どれだけコートの上で脚光を浴びようとも、コートを降りればわずかな差もない人である。家族と公園を歩き、階段を気軽に上り下りし、休日には趣味の釣りに嬉々として出かけていく。そうした健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を、栗原は前例のない手術で再び得ようとしたわけである。
もちろんアスリートとしての引退も覚悟の上だ。ただしそれは困難な手術をするからではない。手術をする前、つまりプロとなってからずっと考えていたことでもある。だから今回の手術に際し、医師に全幅の信頼を寄せながらも、必要以上の期待はせず、自分のなかでは「これでダメだったら、潔く引退しよう」とさえ考えていた。
ただ、そうなれば心残りがある。
それが、もうひとつの、栗原を手術に踏み切らせた要因である。