足首を固定したリーグ屈指のディフェンダー
暗闇にあってもひとすじの光明を見出そうとする。
それがトップアスリートと言われる所以なのかもしれない。
栗原貴宏にとって2019-20シーズンはまさに暗闇だった。正確に言えば2018-19シーズンの中盤、2019年1月25日にホームのブレックスアリーナでおこなわれた川崎ブレイブサンダース戦からそれは始まった。その試合で栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)の栗原は右手首の舟状骨を骨折してしまう。
2か月半後の4月10日、栗原はアウェーのレバンガ北海道戦で復帰を果たす。しかし翌日の練習で今度は右足リスフラン関節の靭帯を損傷する。チャンピオンシップに向けて、チームがさらなる一体化を図ろうとしているときの戦線離脱だった。
悔しさは残る。なぜこの時期に? 川崎から移籍して1年目。チームは東地区2位、リーグ全体でも2番目の勝率を誇り、優勝のチャンスは十分にある。栗原自身、それに貢献できる自負もあった。そんなみなぎる自信に水を差すケガの連鎖。シーズンアウト。悔しさは、やはり、残らざるをえない。
一方で、当時の栗原は自分が踏み込んだのが、翌2019-20シーズンをほぼ覆いつくすほどの暗闇になるとは思いもしていなかった。
「手首については千葉ジェッツの小野龍猛(当時。2020-21シーズンは信州ブレイブウォリアーズと契約)も同じケガをしていたんです。だから龍猛と話して、だいたい2〜3カ月で復帰できるとわかっていたので、そこまで心配していませんでした。復帰に向かってやるだけだなと。右足のリスフランについてもバスケットやサッカーなどでは前例のあるケガだから、ある程度の復帰の目処は見えていたんです。もちろん不安はありました。でもいずれはちゃんと戻れるから、それに向けてリハビリなど、できることをやろうと思っていたんです」
ケガをしないに越したことはない。しかし自らの体を頼みに戦うアスリートにとって、大なり小なりケガはつきものである。大げさに言えば、ケガとの戦いもまたアスリートに求められる資質の1つといえる。そのことを栗原自身も強く自覚していた。
右足リスフラン関節の靭帯を損傷した数日後、栗原は早々にその手術に踏み切っている。このケガさえ治れば、来シーズン(2019-20シーズン)はまたプレーができる。そう考えたわけだ。
しかし右足のリハビリ期間中、栗原は古傷の左足首も治してしまおうと考えた。以下は、栗原がマネジメント契約を結んでいる株式会社T2Cからいただいた、彼の左足首に関する情報である。
2008年の夏、練習で脱臼(筆者註:日本大学3年生のとき)。靭帯再建の手術。
2014年の夏、骨棘除去(クリーニング)。この手術後から距腿関節の軟骨がなくなり、骨同士がぶつかりはじめる(同註:東芝(現川崎)入社5年目)。
2015年の開幕戦、腓骨筋腱脱臼。12月に修復手術。
大学時代の脱臼を皮切りに、栗原の左足首はさまざまなケガで蝕まれていたことがわかる。
右手首、右足と続いた手術の後、来シーズン以降のよりよいプレーを手に入れるべく栗原は思い切った決断を下す。T2Cからの情報の一番下にはこうあった。
2019年6月、左足関節固定術。