part2「世界のスタンダードに近づくためのリーグ改革は『川崎が引っ張った』」より続く
前身の東芝ブレイブサンダースは企業チームだったが、Bリーグとともにプロ化した現在の環境は大きく様変わりした。多くのファンの声援が届くようになった反面、保証がない厳しい世界でもある。トップアスリートはケガのリスクを抱えながら戦わねばならず、それゆえケガをした瞬間はどんなことが脳裏を過ぎるのだろうか。今後のキャリアのこと、生活のことなど不安は尽きない。
2019年末、滋賀レイクスターズ戦でケガをしたときに「本当に終わったと思った」という篠山が、当時の心境を振り返ってくれた。
ケガをしたときに考えるのは「神様からのお告げ」
── 昨年は大事な場面で2度(ワールドカップでのアメリカ戦、2019年12月29日の滋賀戦)のケガに見舞われましたが、その瞬間はどんな心境でしたか?
「全てのできごとには何か意味があるのではないか」というのが、僕の考え方です。ケガをしたときは神様からのお告げじゃないですけど、「きっと何かの意味があるんだろう」とすぐに考えるようにしています。アメリカ戦での(左第1趾末節骨)骨折も、年末の(左肘関節)脱臼もそうですが、防ぎようがなかったケガだったと自分の中では思っています。
アメリカ戦で骨折したときはワールドカップに出場し、アメリカとも対戦することができ、順位決定戦で残る2試合を戦い切って、お腹いっぱいみたいな感じになることを許さないって神様に言われたような気がするんですよね。ワールドカップの次にすぐオリンピックに出られると簡単に考えてしまっていたことを、神様に怒られたのかもしれないです。
でも、なんとか開幕戦に間に合い、調子の波はありましたけどシーズンを戦っていった中で、年末のあの試合になるわけです。正直、その前から自分の疲労の度合いとか少し体の不調があったり、ちゃんとリカバリーができていないとか、そういうのが少しずつ蓄積されていたところもあったかもしれない、と今振り返ると感じています。身体の使い方が少し雑になっていたり、もしかすると筋肉が少し緊張して100%の状態で試合に臨めていなかったかもしれません。でも、あの脱臼をしたときは「本当に終わった」と思いました。骨が折れたと思っていたので、オリンピックを諦めざるを得ないだろうし、あとは少しでもキャリアを長く続けていけるように、というスイッチに切り替えなければいけないのかなって本当に思いました。その後の検査の結果、脱臼で済み、骨も折れてなく、全治3ヶ月と言われたときは、オリンピックに向けてもう1回自分の体の使い方や基礎体力などをこの期間で見つめ直せという宿題を与えられたのかなっていうような考え方でした。