「戦力であり続けることが一番。コートに立てれば何かできる」
企業の部活動だった日本リーグ〜JBL、体制はそのままに少しショーアップされたJBLスーパーリーグを経て、レラカムイ北海道や栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)らプロチームが参戦した新生JBL〜NBLへと看板だけがコロコロ変わる時代を選手として、また社長としてともに駆け抜けてきた。この間、プロリーグ化の話が浮かんでは消えていった。プロチームの数が企業チームを凌駕しても、リーグとしてはアマチュアの域を抜けられないままだった。
「完全プロ化となるにあたり、やっぱりコートの中から見たかった」と話していた折茂選手はこれまで以上にモチベーションを高め、Bリーグに挑んだのはキャリア24年目、46歳のときである。待ち焦がれたプロ化したコートに立てば、「こんなに年が離れているのにがっつりディフェンスで削ってくる。もう少し離して守ってくれたっていいじゃん」と不満を露わにする口調とは裏腹に、いつもどこかうれしそうだった。毎年のように、「戦力であり続けることが一番。コートに立てれば何かできる」と目標を掲げてきた。しかし、最後は思い描く姿とはかけ離れてしまった。
「プロである以上はやはり結果を出さなければいけないし、結果を求められるのがプロの世界では当たり前。なので、自分の役割を見た時にもうプロ選手と呼べるようなパフォーマンスをみんなにお見せできなかった。そこが自分の中では非常にショックでもあり、だからこそ多分もう1回その荷物を背負うっていうことは難しかったのかな」
27年間背負い続けてきた使命や責任という荷物は、まわりが想像できないほどヘビーなものになっていた。
「今まではどんなに苦しくても、どんなに辛くても、その荷物をずっと下ろさずにやって来た。だからこそ、まだ背負えていた。だけど、やはりこれで引退だと決まった時に、その荷物を一回降ろしてしまい、あまりにもその荷物が重たすぎてもう持ち上がらなかった」