五十嵐 真介が参加した代表合宿は僕にとっても初めての合宿でした。前は途中からの参加だったので。
柏木 日の丸を付けるというのはやっぱり特別でしたね。いつかは付けたいと思って無我夢中でやってきましたが、まさかこんなに早く実現するとは思っていなくて(スプリングキャンプから)上がれると聞いたときはものすごくうれしかったです。けど、その反面まだ大学も卒業していなくて、実業団のバスケも経験していない自分が(代表で)やっていけるのか?という不安も強かったです。とにかくやれることを一生懸命やろうという気持ちしかなかったですね。呼んでもらったということは何かしら自分の良さを認めてもらえたということなのだから、それに応えるためにも全力で頑張るしかないと思って、そのときはポイントガードがどうとか試合がどうとかはまったく考えていませんでした。
五十嵐 僕はジェリコHCから「おまえはスピードはあるが、それ以外の技術が伴っていない」と言われ、なんかおかしいですが、とてもうれしかったのを覚えています。本当なら「それ以外の技術が伴っていない」というところを考えなきゃだめなんでしょうが、そのときは代表のコーチに自分のスピードを認めてもらえたような気がしてうれしさが先に来た(笑)。それが自信にもなったし、自分が進む道の指針にもなりました。
── 五十嵐さんは日立サンロッカーズに入団して新人王に輝きました。柏木さんは日立で五十嵐さんとともにプレーした後、アイシンシーホースに移籍してリーグ優勝にも貢献しました。
柏木 実業団に入ってからも先輩からの学びはありましたね。たとえばアイシンに入ってからは佐古さんから多くのことを学びました。入って1年目は「ポイントガードをやります」「勉強します」って言ったものの壁にぶつかることだらけだったんですよ。変な話ね、点を取りに行けと言われれば取りに行けたし、個人ではある程度なんでもできたんですけど、それがチームで…となると全然なにもできなかったんですね。だから、練習では常に佐古さんとマッチアップして、いっぱいアドバイスをもらって、試合ではそれを生かす経験をいろいろさせてもらいました。そういう積み重ねがあったからこそ成長できたと思っています。
五十嵐 真介の成長は対戦したときにも感じました。佐古さんに鍛えられているんだろうなあというのが伝わってきましたね。
── 佐古さんが引退した年にアイシンに入った橋本竜馬選手(レバンガ北海道)は「柏木さんからいろいろ学んだ」と言っています。
柏木 僕自身が上の人からいろんなものを学んだので、自分が上の立場になったとき、若かったときの自分を振り返ることができたんですね。後輩にどういうことを伝えればいいのか、どうつなげればいいのか、そういうのがわかるというか。竜馬とは結構歳も離れていたのでライバルというより“育てたい後輩”という気持ちの方が強くて、メンバーの変動で大きく様変わりしたチームを2人で強くしていきたいと思っていました。お互いディフェンスが得意で、似たような面が多かったこともあり、僕が伝えたいことを竜馬がいい形で吸収してくれたと思っています。
── 先輩から学ぶべきことは学び、その上に自分のスタイルを構築していくという感じでしょうか。
五十嵐 そうですね。自分にとっても佐古さんは高校、大学の先輩であり、あこがれの選手でした。ただ当時から自分は他のポイントガードとは違うタイプだなとなんとなく思っていて、先輩のいいところは学びつつもスタイルは真似せず、自分らしさを追求して新しいポイントガード像を作っていきたいと考えていました。それは今も変わりません。
part3「ポイントガードはもっとも経験値が求められるポジション」へ続く
文 松原貴実
写真 沼田侑悟