新潟アルビレックスBBの五十嵐圭と柏木真介は中央大学の先輩、後輩であり、同時期に日の丸を付け2006年の世界選手権を戦った。トップリーグを代表するポイントガードとして長きにわたりしのぎを削ってきた2人がチームメイトとしてコートに立ったのは昨年のこと。ともにベテランの妙味を遺憾なく発揮してチームを中地区優勝に牽引した。『スピードスター』の異名を取った五十嵐、『ディフェンスの鬼』と称された柏木、タイプこそ違えど今もなお心技の要として活躍する2人にこれまで歩いてきた道、目指す道、さらにはそれぞれのポイントガード論までたっぷり語ってもらった。
初のポイントガード対決はインターハイ
── まずお2人がポイントガードをやり始めた時期を教えてください。
五十嵐 僕は小学5年生からバスケットを始めたんですが、そのころはポジションとかはあまり意識してなくて、ボールをもらったらシュートを狙うという感じでした。中学でも点を取ることを重視していて、今で言うならシューティングガードとかフォワードみたいなポジションだったと思います。北陸高校に入ってからも2年生までは同じでしたね。ポイントガードを任されたのは3年生のインターハイからで、(柏木)真介とも接点があるんです。
柏木 接点?
五十嵐 そう。僕が初めてポイントガードをやったのはインターハイ1回戦で真介がいた東海大第四(現東海大札幌高校)と対戦したときだったから。あの試合の前にポイントガードをやってた選手がケガか何かで出られなくなって急遽僕がポイントガードをやることになった。いわば即席のポイントガードだけど(笑)。覚えてる?
柏木 覚えてます。うちが勝ちました(笑)。インターハイ前にちょうどジュニアの合宿があって、そのとき「インターハイで北陸と当たるんだ」と言ったら「北陸にはすげー速くて、すげーかっこいい人がいるよ」という話になった。それが圭さんでした。実際に戦ってみたらほんとにかっこよかった。それにとにかく速かった!(笑)
五十嵐 真介は僕より1つ下だけど、当時の東海大第四は真介、宮永(雄太)、小原(和峰)という3本柱がいる有力校だったから「いきなり1回戦で当たるのかよぉ」と思ってたんだよね。その試合は宮永の方がシュートを打ってて、真介は余裕でパスを回してるっていう印象だった。
柏木 僕もポイントガードをちゃんとやるようになったのは高校に入ってからなんですよ。バスケは小学3年生から始めたんですけど、4年のときにひとまずポイントガードになって、5年はシューティングガード、6年でセンターといろんなポジションをやってました。中学からはガードになりましたが、そのころはボール運びもパスもシュートも全部好き勝手にやっていて、本当の意味でポイントガードの勉強をしたのは高校から。当時の監督だった永野(進)先生に厳しく鍛えられました。
── ポイントガードというポジションは自分に合ってるなと思いましたか?
柏木 さっきも言ったように中学までは好き放題やらせてもらっていたので、点を取ることがすごく楽しかったし、点を取る選手はすごいなというのがありました。でも、高校でポイントガードの修業を始めてからパスの楽しさを覚えたんですね。点を取るよりもアシストにやりがいを感じるようになりました。得点よりパスを優先するようになったし、いろんなことを経験しながら自分なりに(ポイントガードの)形を作っていったような気がします。
五十嵐 僕も同じですね。インターハイで即席のポイントガードをやってから、国体、ウインターカップと一応ポイントガードをやっていたんですが、最初はそこまで意識してなかったです。ただ自分の中ではポイントガード=ゲームコントロールというイメージが強くて、パスを回してゲームを作らなきゃいけないとは思っていました。だから、やり始めたころは(自分が打つ)シュートの数は確実に減りましたね。