part2「カナダでゼロからのスタート」より続く
自分の仕事はチームのモーターになること
フィリピンから帰国してからも安藤は自分の未来図を描き続ける。次代の選手を育成するNBAのデベロップメントリーグ(Dリーグ)のトライアウトに参加したのもその一つ。結果的にドラフト指名されることは叶わなかったが、それがきっかけで現地に視察に来ていた栃木(宇都宮)ブレックスから声がかかりNBL2015-2016年シーズン途中から日本でプレーする道を選んだ。Bリーグ開幕となる翌シーズンはさらなる飛躍を求めて秋田ノーザンハピネッツに移籍。そこでの活躍に目を留めたアルバルク東京からレンタル移籍を請われ2017-2018シーズンから東京に移ると、翌年には完全移籍の契約を交わした。新しくヘッドコーチに就任したルカ・パヴィチェヴィッチの下、安藤はリーグの頂上を目指すことになる。
注目されたのは、それまでチームを牽引してきた伊藤大司(滋賀レイクスターズ)、二ノ宮康平(茨城ロボッツ)といったベテランポイントガードが抜け、このポジションを任されたのが24歳の安藤と23歳の小島元基だったことだ。当時のインタビューで安藤は「重責であることには違いないですが、若いからできないと言われないように頑張っていきたい」と述べている。ルカヘッドコーチの指導は非常に厳しく、練習ではパスを出す位置、受ける位置、ボールの高さまで指示されると聞くが、それに対しては「僕が日本代表候補になったとき、暫定ヘッドコーチだったルカの指導を受けていましたから、周りが言う“厳しい”とか“細かい”とかはもうあたりまえになっていて戸惑うことはありませんでした」と言う。それより大変だったのは『ルカのバスケットスタイルをしっかり理解すること』だ。
「システムは練習していれば理解できます。僕が一番大変だと感じたのは、なんて言うんでしょう、言葉にするのは難しいんですけど、その場の状況判断だったり、求められているものだったり、自分のマインドの持って行き方だったりという部分。それがルカが求めるバスケスタイルなのかどうかということですね。その年にリーグ優勝しましたけど、まだそのスタイルを理解しきれているとは言えなくて、2シーズン目に入ってから得た気づきも少なくありません」。3シーズン目となる今年は当然理解度も深まったが「わかっているつもりなのにできなかったことはありますね。たとえばポイントガードとしてこっちの選手を使うべきだったのに違う選手を使ってしまったり。コールしたあとにハッとして、わかってたつもりなのにぃと思うんですが(笑)。まだまだです」