アルバルク東京 #3 安藤誓哉

描き続ける未来図 part1

オファーを受けて進学を決めたのは明治大学。どこより熱心に誘ってくれた塚本清彦コーチ(当時)は安藤にこう告げた。「キミをポイントガードとして起用したい」。攻め気1本のシューティングガードからの転身。安藤の『ポイントガード修業』は大学に入学した18歳からスタートした。

それまでポイントガードなんてやったことがなかったんで、ゲームをコントロールするという意味もよくわからなかったんですね。本当に“ポイントガード入門”っていう感じです。他の大学のポイントガードを見ても巧い人ばっかり。特に早稲田の大塚さん(勇人・青森ワッツ)や筑波の笹山(貴哉・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)はパスも巧いし、プレーに余裕があるっていうか、単純にすごいなあと思いました。ただ同時に僕は2人みたいなタイプにはなれないなあとも思ったんですね。大塚さんも笹山も周りをコントロールしながら隙があったら攻めるタイプ。でも、やっぱり僕の持ち味は自分で攻めることですから、攻めながら周りを使うのが自分のスタイルじゃないかと思ったんです。違いを言葉にするのは難しいですけど、僕は僕の持ち味を生かしたポイントガードを目指したいと思いました

しかし、実際のゲームになると気持ちとプレーがうまく噛み合わない。「悩みましたね。1年生のころはほとんど毎日悩んでました」。それでも試合は待ってくれない。毎週コートに立つリーグ戦では終わった後、必ず自分のプレーを振り返り、できたこととできなかったこと、うまくいったことといかなかったことを確認していたという。そんな日々を重ねるうちに気づいたのは「自分が攻め気でプレーしているときの方が結果的に周りとの連携も良くなっていいゲームができている」ということだ。「それが自分の(ポイントガードの)スタイルなんだと言い切れるようになるまでは時間がかかりましたが、目指していたものはブレなかったと思います」。チームの内部事情もあり2年生でキャプテンを務める経験もしたが、その重責に押しつぶされることなくインカレで3位入賞、翌年には同準優勝にチームを導いた。『ポイントガード入門』をしてから3年、ときにはぬかるみに足をとられたり、思わぬ回り道を強いられたりもしたが、自分が描いた“未来図”に向かい懸命に歩いてきた自負はある。が、予期せぬことで未来の景色が変わるのもまた人生。大学の最終学年を迎えた年、安藤はバスケット部を退部して海を渡る決意をした。

part2「カナダでゼロからのスタート」へ続く

文 松原貴実
写真 安井麻実

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