2006年、14歳でモンテビデオのクラブに入団し、16歳でプロデビューしたカルファニは、以後ウルグアイの3つのクラブでプレー。併行してアンダーカテゴリーからウルグアイ代表に選出され、フル代表となった2010年、2012年、2016年には南アメリカ選手権大会で銅メダルを獲得する。西に隣接するバスケットの強豪国(FIBA世界ランキング5位)アルゼンチンに渡ったのは2016年。前年に国内リーグの王者となったサン・ロレンソからのオファーを受けてのことだった。移籍して間もなく主力の1人となったカルファニはリーグ2連覇に貢献。このときチームの指揮官を務めたのは後に日本代表ヘッドコーチに就任するフリオ・ラマスである。「彼は日本代表チームの指揮官になるためチームを離れたので、彼の下でプレーできたのは1年間だけでしたが、私にとってとても有意義な時間でした」。それにしても母国ウルグアイの代表選手であり、アルゼンチンの名門クラブで3年のキャリアを積んできた彼がなぜ日本でプレーする道を選んだのか?その質問をストレートにぶつけてみると、今度は考え込む間もなく明快な答えが返ってきた。
「僕はバスケットボール選手として、新しいチャレンジをしたかったんです」
一足先に日本にやって来たラマスとはその後も連絡を取り合い日本の話はよく聞いていた。「彼は日本は安全で、人々は親切で、とても暮らしやすい国だと教えてくれました」。そうは言うものの日本はウルグアイから片道30時間かかる遠い国だ。言葉、文化、慣習、すべてが異なる環境への不安はなかったのだろうか。「もちろん不安がなかったわけではありません。僕は日本という国についても、日本のバスケットについてもほとんど何も知らなかったから。だけど、それだからこそチャレンジしてみたいという気持ちになったんです。信頼しているラマスさんが『日本でプレーすることはきっと君のキャリアのプラスになると思うよ』と言ってくれたことにも勇気を得ました。日本に来ることは僕にとって人生の大きな転機だと言えますが、僕はそれにチャレンジしようと決めたんです」
故郷のアルティガスから単身モンテビデオに旅立ったのは13歳のとき、アルゼンチンの強豪クラブに活躍の場を求めたのは24歳のとき、そして27歳になったカルファニは新しいチャレンジを求めて日本にやって来た。今も不安はありますか?の問いに返ってきたのは大きな笑顔。「いいえ、今は不安も消えました。なぜなら僕は日本が好きになったから。川崎というチームが大好きになったからです」
part2「バスケットのキャリアを磨くだけではなく、日本の文化を学びたい」へ続く
文 松原貴実
写真 安井麻実