富山県で生まれ育った水戸健史は、両親が社会人バスケを楽しんでいたこともあり、物心がつく前からコートにいた。現在34歳、富山グラウジーズ一筋、12シーズンを数える。振り返れば、近畿大学に進んだ4年間以外はず〜っと地元でプレーしてきた。
ミニバスへの入部が認められるのは小学2年生からだった。1年生のときは先にはじめていた姉についていって練習を見学し、その傍らでボールと戯れ、コートを走り回っていた。翌年、晴れてチーム入りし、本格的にバスケをスタートさせる。南砺市出身の水戸は小学と中学で着実に成長し、高岡商業高校では全国大会に出場した。2年次のウインターカップは初戦(2回戦)敗退も、八幡工業戦で獲った25点はゲームハイ。「通用する部分もあり、勝負できるという実感はありました」という自信とともに、その差も痛感させられる。
「上のレベル(大学)では通用しないと思っていました。そこまで一生懸命にやるよりも、楽しくバスケをできればいいかな」という水戸は就職を考える。商業高校ということもあり、「進学よりも就職しやすい環境だった」。当時の富山にプロチームはもちろん、プロリーグ自体もまだ存在しておらず、バスケに将来を見据えるような夢さえなかった。そんなときである。近畿大学から推薦の話がきた。しかし水戸は「あまり乗り気ではなかった」そうだ。両親に背中を押されたことで進学し、一生懸命にバスケも続けた。
「大学時代はインカレで上を目指そうというよりは、どうやって関西のトップになるかという目標が先に来ていました。インカレは一発勝負ですし、僕らからしてみればお祭りみたいな場所。当たって砕けろという感じで戦っていました」
近畿大学では2年次と、キャプテンとしてチームを引っ張った4年次に目標としていた関西学生リーグを制し、インカレにも出場した。
最初に優勝した年、bjリーグが誕生する。「大阪エヴェッサと、確か仙台(89ers)だったと思いますが、プレシーズンゲームを見に行く機会がありました」と、関西に進学したことで早々にプロリーグに触れる機会が訪れる。そして、偶然にもその会場にいたグラウジーズ関係者から「来年、富山もプロリーグに参入する」という話を聞く。