part1「僕にはBチームのキャプテンはできません」より続く
一見、大塚にはクールなイメージがある。コートの上では黙々と自分の役割をこなす仕事人。必要以上に喜怒哀楽を出さず、大声で叫ばず、どこまでも我が道を行くような…。「いえいえ、それ違いますから。喜怒哀楽出しますから。こう見えて結構コミュニケーション能力もありますから」と、本人。思えば32歳の年齢は日本人選手の中で1番年上。「そうなんですよ。チームで僕が最年長ですからね」。そう言って笑う大塚からもう1つの顔がのぞいた。
「そろそろオールスターに連続MVPが出てもいいんじゃないですか(笑)」
── 東海大に入って念願のAチームに上がれたことで自分の中で変わったものはありますか?たとえば卒業後に進む道の方向とか。
そこなんですよね。自分が悩んだのは。冷静に考えたら大学4年生は次の年から働かなきゃならないわけですよね。普通は3年の終わりぐらいから準備するじゃないですか。そのころリクさん(陸川章監督)から「実業団からオファーがあるけどどうする?」って聞かれて、そのときはプロになる気はまったくなかったんで、自分としては仕事をメインにして部活みたいな感じでバスケができるんだったら1番いいなあと思ったんです。ところが、その話が途中で流れてしまって、そうなると本格的に就活をするか、それともAチームでしっかりバスケをするか、自分の中に迷いが生まれました。でも、考えているうちに初めて“プロ”という道が浮かんだんです。プロになって頑張る道もあるんだと。そのときにはもう自分の武器はシュートだと思っていたし、3Pシュートにも自信を持っていたので。もしプロになるんだったらシューターがいないチームの方がチャンスがあるかな?とか、そんなことも考えてJBL(当時)の試合を見たりしてました。思えば全然甘かったですけど(笑)
── TGI-D-RISEからスタートしたプロ生活ですが、今も忘れられない試合、あるいは出来事はありますか?
bjリーグの2年目に秋田に移籍したときですかね。そのころは田口(成浩・現千葉ジェッツ)と僕が両ウィングだったんですけど、当時ヘッドコーチだった和さん(中村和雄)から「おまえらはパスをもらったら必ず3Pを狙え。10本打ったら10本決めろ」と言われてました。ある試合で僕はドライブしてファウルをもらったんですよ。判断としては間違っていなかったと思うし、褒められるかな?と思っていたら、和さんに「2点は要らない」ときっぱり言われて。