part1より続く
Bリーグが誕生した今でこそ移籍は毎年のようにおこなわれている。しかし古川孝敏が東海大学を卒業して最初に属したJBL(当時)は大半を企業チームが占め、移籍という観念があまりなかった。終身雇用とは言わないまでも、そのチームで現役をまっとうする選手のほうが多かったのだ。
しかし古川はこの10年のあいだに3度の移籍を経験している。プロスポーツの世界ではいくつものチームを渡り歩く選手を「ジャーニーマン」と呼び、それも直訳的な「旅人」というより、「流しの職人」という意味合いのほうが強い。なるほど古川もどこか職人気質なイメージがある。自らの腕を頼りに移籍したチームを強くしていく職人的なイメージである。
だが、ことはそう簡単なことではないと古川は言う。
「前のチームで自分の持っている技を100%出せていたとして、チームを変えることで一度落ちてしまうと僕は思っているんです」
なぜか。
「僕がそのチームを知らないからです。どういうことをしたいのか知らないから、まずは僕がチームにフィットしていかなければいけないんです。自分の我を出しすぎてやりたい放題してしまうと、『一緒にプレーするのは無理だ』と言われるかもしれません。ベンチメンバーを含めた全員でやるスポーツのなかで、いかに自分の良さを出していくか。最初に自分の良さを入れてくれ、ではないと思っています」
古川に限らず、移籍を模索する選手たちは常に「そのチームがどんなプレースタイルなのか」を気にかけている。それをある程度でも知ることで、自分が入ったときにはこういう場面で助けになれるかもしれない、チームがよくなるチャンスがあるかもしれないと、決断の材料を生み出す。また選手自身にとっても、新しいバスケットに触れ、新しいチームメイトに刺激を受けながら、これまでとは異なるステップアップができるかもしれない。ただ、どちらにしても移籍をする選手がチームを知り、チームメイトを知らなければ始まらないのだ。チームは四角い積み木を単純に積み上げるように作られていくのではなく、丸や三角、台形、ときには星形などさまざまな形をした積み木がバランスよく積み上げられている。そのなかに「古川孝敏」という形をした新たなピースをいかに積むか。それはコーチ陣が考えることでもあるが、新たに入ってくる選手もまた、自分がどう積まれたときにチームとしてのバランスが取れるか、チームと自分自身の力がより発揮できるのかを考える必要がある。移籍は単純な“足し算”ではないのである。