part2「志を高く、バスケットに取り組む姿勢はどこにも負けない」より続く
2年目のシーズンを牽引する期待のニューフェイス
熊本で生まれた岩松永太郎は小学生のときすでに「宮崎の小林高校から強豪東海大に進む」と心に決め、迷うことなくその道を突き進んできた。大学卒業後は教員となって宮崎に戻る。だが、それから2年を経た今年、岩松が選んだのは岐阜スゥープスのニューフェイスとして再びコートに立つことだった。現役復帰を決断した24歳の覚悟。ことばの端々から伝わってきたのは「バスケットが好きで好きでたまらない」というまっすぐな気持ちだ。
── まずは現役復帰までの経緯を教えてください。
岩松 大学を卒業してから宮崎の日南高校の非常勤講師となり、バスケット部のアシスタントコーチとして教員生活をスタートさせました。僕の1番大きな目標はいつか母校の小林高校で指導者となり全国大会で勝てるチームを作ることなので、高校は違いましたが、その一歩を踏み出したわけです。それとちょうど同じ時期に大学の1年先輩に当たる寺園(脩斗・三遠ネオフェニックス)さんが勤めていた九州電力を辞めてプロ選手の道を選ぶことを聞きました。僕は寺園さんとはすごく仲が良くて、時間を作ってよく会っていたので、プロの話とか状況についてもいろいろ話してもらっていました。そうするうちに自分の中に「俺ももう一度選手としてコートに立ちたい」という思いが芽生えてきて…、うーん、芽生えてきたというより元々自分の中にあったその気持ちを再認識したというのが正しいかもしれません。それで1年間しっかり教員の仕事を務めたあと、Bリーグに挑戦しようと決心したんです。
── ご両親をはじめ周りの反対はなかったですか?
岩松 いえ、むしろ両親は応援してくれました。僕は2人兄弟の長男で弟はまだ高校生なんですけど、僕が教員になると決めたときも両親からは「本当にそれでいいのか?」と何度も聞かれました。「プレーを辞めることに心残りはないのか?」と、何度も。だから、現役復帰をする覚悟を話したときは逆に喜んでくれて、頑張れ!って言ってくれて、プレシーズンマッチのときも岐阜まで応援に来てくれたんですよ。やっぱり両親は僕の気持ちを見抜いていたのかもしれません。感謝してます。
── スゥープスに入るきっかけとなったのは?
岩松 4月に上京して、寺園さんのワークアウトとかスキルトレーニングのコーチをしていらっしゃる方のもとで一緒にトレーニングさせてもらっていました。トレーニングしながら(プレーできる)チームを探していたんですが、なかなか厳しい状況だったんですね。そんなとき、これも東海大つながりなんですけど名古屋(ダイヤモンドドルフィンズ)でアシスタントコーチをしているヤスさん(小林康法)が僕の話を聞いてくれて、そこからスゥープスの田中(昌寛)さんに話を繋いでくれたんです。その後に東京で行われたBリーグのトライアウトに参加したんですけど、そのとき田中さんと落(慶久)ヘッドコーチが見に来てくれていて、入団の話をいただきました。トライアウトに田中さんたちが来ていたのを僕は全然知らなかったんですよ。あとから聞いて、ああ僕のプレーを気に入ってもらえてよかったと(笑)