「スポーツビジネスに関してはすごく興味がありました。リーダーシップ論はなかったので、今思えばそういうことも学びたかったですね。GMとなり、すごく役に立っているのは心理学を通したコミュニケーションです。また、いろんな学問をかいつまんだことがかすかな記憶として残っているので、自分のアンテナに引っかかればいろんな話をすることができます。知り合いの職種が多岐にわたっているのも大きなメリットです」(志村GM)
しかし学生時代は、受験戦争を勝ち抜いてきた同級生たちと対峙し、「自信がなくなりました」と負い目を感じることもあった。「でも、バスケという特殊能力に関しては彼らと対等に話すことができ、周りからもバスケでがんばってと背中を押してくれたことで、この世界で生きていくべきだという覚悟ができました」と覚悟を持つこともできた大学生活であった。
宮城県が、東日本大震災の被災県であることを忘れてはならない。「生きていく手段としてバスケ選手を選び、仕事としてプレーしていました」という志村GMだが、3.11を境に価値観が180度変わる。
「あのときから、地域のために自分がやれることがバスケなんだということに気付かされました。同時に地元を思い、バスケをプレーすることがこの地域に対してできることだと知ったわけです」(志村GM)
キャリアアップやレベルアップを考慮し、「お金を求めたり、うまくなるためにも移籍をした方が良かったかもしれない」。だが、志村GMは「一人の人間としては間違っていない」と自信を持って決断し、コートを離れた今も仙台の地で戦い続けている。
見ている人を感動させ、勇気づけることこそがプロ選手であり、プロクラブが街に与える使命でもある。仙台市民、宮城県民に認められたスター選手は、持続可能な復興支援方法を見出した。
「いろんな支援方法がありますが、僕はこの地で仕事をすることが一番の復興支援だと今でも考えています。一番の地域貢献は納税することですから。日々の生活で地域にお金を使うわけであり、それが一番だと思っています。もし、復興支援をしたいと思う選手がいれば、ぜひ契約してください!(笑)」
仙台高校出身コンビが築く89ERSカルチャー
part1「強くて愛されるチームを作り『5年後にB1で優勝』」
part2「『がんばり』を数値化する『Grind!』が選手に対する評価基準」
文 泉誠一
写真 安井麻実