※本記事はバスケットボールスピリッツのWEB化に伴う、2018年8月末発行vol.24からの転載
人生を“旅”にたとえるなら、バスケット選手にとって移籍とは新たな旅の始まりかもしれない。今シーズン三遠ネオフェニックスに移籍加入した若手トリオもまた然り。前を向き、胸を張り、力強く一歩踏み出す。開幕の秋はもうすぐだ。
── まずは自己紹介を兼ねて、三遠ネオフェニックスへの移籍を決めた経緯をそれぞれ聞かせていただけますか。
菅野 では年長の僕から。僕は福島県出身で、地元の福島ファイヤーボンズで3年間プレーしてきました。そもそもプロを目指したきっかけは大学(東北学院大)4年のときのインカレで関東の大学に敗れたことなんですね。ものすごく悔しくて、もっとレベルを上げてうまい人を倒したいと思ったんです。地元のプロチームで活躍することで、福島の子どもたちが「自分もできるんじゃないか」と思ってくれたらいいなという気持ちもありました。今回三遠から声をかけてもらったとき1番最初に考えたのは、ここでなら自分がもっとレベルアップできるんじゃないかということです。福島はいいチームだったし愛着もありますが、今はB1という新しい世界でいろんな経験をして成長したいと思っています。
渡邊 ここでさらに成長したいというのは僕も同じですね。僕のプロとしてのスタートはアースフレンズ東京Zで、1年後にB1の島根スサノオマジックに移籍しました。振り返れば昨シーズンは本当に手探りの状態というか、とにかく無我夢中で駆け抜けた1年だった気がします。三遠からオファーをいただいたときは自分がレベルアップできるチャンスだと思いました。三遠には大学(関西学院大)の先輩である川嶋勇人さんがいるので、いろいろ話を聞かせてもらえたことも大きかったです。
寺園 僕は去年まで社会人チームの九州電力でプレーしていました。4人兄妹の長男なんですけど、大学まで好きなバスケを思いっきりやらせてもらってて、そろそろ長男らしくっていうか、ちゃんと就職して弟たちにも好きなことをやらせてあげたいという気持ちがあったんですね。けど、会社員ですから当然バスケの前にまず仕事があります。残業で練習に参加できない人もいる。仕方がないとわかっていても、僕はバスケが大好きなのでだんだん物足りなさを感じるようになりました。その気持ちを家族に打ち明けたら、好きな道を行けばいいと言ってくれて。そこからプロになる準備を始めたんです。もうひたすら練習しました。三遠に入れたのは幸運だったし、今は毎日が最高に幸せです。
── 年齢は違いますが、三遠の“同期”となったお互いの印象は?
寺園 (菅野)翔太さんはもう見た目通り爽やかな人で、こんなイケメン久々に見ました。
菅野 おい、いきなり上げてきたな(笑)
寺園 見た目は爽やかだけど中身は熱くて、すごく負けず嫌い。正直、どういうプレーヤーなのか自分は知らなかったんですが、シュートがめちゃくちゃ入るんですよ。シューティングではほぼ100%落とさない。ほんとにすごくて、これがプロのレベルなんだなあって思ってます。ナベ(渡邊)さんはそれとは逆に…
渡邊 それとは逆に?
寺園 いえ、逆にっていうか、ナベさんとは歳が近いので気を遣わずになんでも話せるんですよ。関西出身なんでウケを狙っておもしろいことを言おうとするけどほとんど滑るので、それがおもしろいですね。
渡邊 おい、ここカット!カット!
寺園 ノーカット!(笑)。プレーではパスを出すタイミングとか声をかけるタイミングとか見ていて本当に勉強になります。うちにはシューターがいっぱいいますが、どこで、どういうパスを出せば打ちやすいのか、ナベさんから毎日学んでいます。