※本記事はバスケットボールスピリッツのWEB化に伴う、2016年11月末発行vol.3からの転載
3PシュートのNBA記録(2,973本)を持つレイ・アレンが、41歳で引退を表明した。さらに5歳年上の折茂武彦さんは、46歳となった今なおシューターとしてコートに立ち、衰える様子は微塵もない。2011年には経営難のクラブを存続させるため、選手兼代表として二足の草鞋を履いてひた走る。そんな鉄人は、現在のNBAを見渡しても皆無である。筆者にとって、リーグ内で唯一の先輩プレイヤーゆえに、敬称略ははばかれる存在だ。
初めてづくしで迎えた24シーズン目、全てはBリーグのコートに立つため
1年前の2015年11月、右足甲重度の打撲及び軽度骨折に見舞われた。「亀裂骨折したところが半年くらいくっつかなかった」ため、これまでのバスケ人生で一番長い戦線離脱を余儀なくされる。その間はアウェイに帯同することなく、クラブ代表としての業務に専念。コートに立てない日々が続き、「もう戦力として見られていないのではないか」という不安からメンタルが維持できず、引退の2文字が脳裏をかすめていく。
昨シーズンは北海道に初めてプレイオフ出場という吉報をもたらせた。「道民に恩返しができた」と笑顔を見せた表の顔とは裏腹に、「屈辱的なシーズンであり、周りには見せなかったが常にイライラしていた」。
日本リーグ〜JBLスーパーリーグ〜JBL〜NBLと全てのトップリーグを渡り歩いた歴史の生き証人。新たに始まるBリーグも「コートの中から見てみたい」と意を決する。これまではオフになったら一人静かに自分に問いかけ、進退を決断してきた。しかし、「Bリーグで絶対にプレイします」とシーズン中にも関わらず、マスコミに続投を表明したのは異例のことである。長年培ってきたルーティーンを打ち破る、初めてづくしの準備に取りかかった。
「オフ中はバスケットをするな。そのうち自然とボールが触りたくなるものだから」というトヨタのヘッドコーチだったジャック・シャローの教えを守り、「休むからこそオフ」を1年目から貫いてきた。さらに「早く帰りたいから」という理由で、練習や試合後のケアもしないスタイル。
ケガの治療とともに酷使し続けた自らの体と向き合ったことで、さらなる異常が見つかった。「自分が入りたいタイミングに対し、2〜3歩遅れてしまって全くタイミングが合わなかった」原因が、体のバランスがズレていることにあった。長年、同じ動きを続けたことで体が歪み、関節の可動域を狭めていた。昨シーズン中に現役続行を決めたことも、オフ中にトレーニングをしたことも、体に向き合ってケアしてきたことも、長い現役生活で全てが初めてのことだった。きついトレーニングと治療を継続した結果、「40代になってから間違いなく今が一番動けている」と実感している。
三十路を過ぎたトヨタ時代の晩年、折茂さんはプレイタイムが半減し、「20分しか戦えない体になっていた」。どのスポーツでも同じだが、「年齢を重ねると年寄り扱いされて、試合に出る機会がなくなり、その影響で体力が維持できず引退していく」ことを危惧していた。幸い、北海道に移籍したことで出場時間が増加し、再び戦える体力を取り戻す。その結果、「36歳の時に世界選手権(2006年)に出たし、40歳手前でもアジア選手権(2009年)で戦うことができた」。
今でも対戦相手は容赦してくれない。「ヒジは持って行かれるは、体は痛いは、立ってるだけなのに手に絡んできたり」と執拗にマークされる。その度に「敵として認められているんだな」と喜びを感じ、闘志を燃やし続けている。