それを口にしたとき、両親はけっして喜ばなかった。「信じられない」という反応を示したそうだが、アヴィの真意を聞いて翻意してくれた。エージェントがいない息子のため、エージェントのような存在としてBリーグの各チームに打診までしてくれて、後押ししてくれた。そこで手を挙げてくれたなかにアルバルク東京があったというわけである。
「僕として一番大きかったのがルカ(・パビチェヴィッチヘッドコーチ)の存在でした。個人的には日本人ヘッドコーチよりも外国籍のヘッドコーチのほうが合っていると感じていたんです。それはコーチングという意味だけではなく、会話などを含めた関係性なども踏まえてそう考えたんです。さらに大きかったのが日本代表で一緒にやっていた(竹内)譲次さんと(田中)大貴さん、(馬場)雄大さんの存在でした。特に雄大さんは若くて、アルバルクに入ってから見違えるというか、上から目線で言うわけではなく、それまでよりもすごくうまくなっていると感じたんですね。かなりベテランの譲次さんでさえ、どんどんうまくなっている気がしたときに、アルバルクというチームが彼らを成長させてくれているんだろうなと感じたんです。個人の成長のためにワークアウトにも力を入れているとも聞いていたので、アルバルクにしました」
もちろんプロチームである以上、勝利がすべてという側面もある。その一方で選手個々の成長にも積極的にアプローチすることで、アルバルク東京は独自の文化を築こうとしている。
練習施設だけを見れば、アメリカの大学は日本のプロチームと比較にならないほどの充実さを誇っている。ジョージア工科大にも24時間使えるトレーニング施設がある。しかしいくら施設が充実していても、選手個々に目を向けるチームの考え方がなければ選手の成長はない。その多くがプロである大学のコーチもまた、プロチームのように勝利を義務付けられているため、選手個々の育成よりもその年のチームをいかに勝たせるかに力を注いだとしてもおかしくない。そうなれば戦力として数えられない選手はその才能を伸ばすことが難しくなってしまう。
アヴィは東京オリンピック出場という夢のため、そこに自分自身の可能性と成長を信じて、新たな挑戦へと踏み出したのである。
part3へ続く【縁の下の力持ちとして】
文 三上太
写真 吉田宗彦