笑顔でそう話しているのは東京・府中にあるアルバルク東京の練習施設である。NCAAトーナメントのファイナルがおこなわれていたミネアポリスからは約9600キロも離れている。アヴィは2018年、1年間通ったジョージア工科大を休学し、アルバルク東京にプロ選手として入団していた。NCAAの規定では一度プロになってしまうと、学生としての籍こそ残せるが、バスケット部のメンバーとしてプレーすることはできない。アヴィはNCAAの頂点ともいうべきディビジョン1での経験を捨ててまで、日本に戻ることを決断したのである。
「僕としては最初から(休学して)プロに行くことを考えていたわけではなかったんです。自分の将来というか、直近の目標に東京オリンピックがあって、それがどれくらい自分にとって大きいのかなって考えたときに、東京オリンピックは何がなんでも出たいという気持ちがあったんです。そう考えるとジョージア工科大の環境はあまりよくなくて、自分の成長を考えれば帰国したほうがいいなと」
2013年9月のIOC総会で2020年の東京オリンピック開催が決まって以降、目標をそこに置き、人生の舵を大きく切ったアスリートは多いはずだ。アヴィもその一人である。ただし、2013年当時、神戸の中学生だったアヴィはまさか自分がそこを目指すことになるとは思ってもなく、それ以前にバスケットプレーヤーになることさえ「選択肢にすら入っていなかった」と明かす。彼の詳細な来歴については他に譲るが、簡単に言えば東京のインターナショナルスクールでバスケットと出合い、203センチという上背やフィジカルの強さなど、彼の持つ将来性を当時U16男子日本代表のヘッドコーチだったトーステン・ロイブル(現在は3×3日本代表ヘッドコーチ)に見出された。そこからすべてが加速度的に動き出す。
「ロイブルさんは僕のバスケットに行く道の元を作ってくれた人です。ロイブルさんがいなければ今、僕はバスケットをやっていません。そういう意味ではあの人には感謝しかありません」
当時17歳だったアヴィは身元照会をされ、日本代表に選出できる資格を持っていると判明すると2016年にはU18日本代表に選ばれてアジア選手権に、翌年はU19日本代表としてワールドカップに出場している。進学先として考えていたアメリカの大学も当初は「ディビジョン3あたりでもいいかな」と考えていたが、そうした日本代表での活動を通じて「ディビジョン1でプレーしてみたい」と思うようになった。それがプレップスクールであるブリュースターアカデミーを経由して、ジョージア工科大に進む経緯である。その間にも年齢制限のない日本代表に選出され、アヴィのまなざしはいつしか2020年の東京オリンピック出場へとその焦点が結ばれていった。
part2へ続く【NCAAからB.LEAGUEへ】
文 三上太
写真 吉田宗彦