part1より続く
365日、怒られて、怒られて育った
オーエスジーフェニックス東三河への入団は早い時期から決めていたことだ。
「オーエスジーは地元のチームだし、お世話になった和さんに恩返ししたい気持ちもありました」。だが、日々の練習は想像のはるか上をいく厳しさだったという。「大袈裟ではなく、誇張しているのでもなく、僕は1年365日怒られてました。チームの中で1番怒られた選手。それだけはぶっちぎり1位の自信があります(笑)」
たとえばある日の練習風景。太田のプレーに業を煮やした中村から「もういい。おまえはそこに立ってろ!」と怒鳴られる。言われるがままコートの隅で立っていると、しばらくして「邪魔だ。向こうの隅で立ってろ!」と怒鳴られる。仕方なく別の隅に移動すると、またしばらくして「だから、邪魔なんだよ。あっちの隅で立ってろ!」と大声が飛ぶ。「終わってみたら、体育館の四隅をコンプリートしてたという(笑)」。今でこそ笑って話せる太田だが、当時はどんな気持ちでコートに立っていたのだろう。
「そりぁメンタル的にきついことは多かったですよ。けど、怒られることには当然理由があるんですね。やれてあたりまえのことをミスするとか、ほんのちょっとしたところで気を抜くとか、そういうことに和さんはめちゃくちゃ厳しかったです。逆に背伸びをして無理なプレーをやろうとすると『できないことをやるんじゃない!』と怒られる。辛くないわけはなかったけど、そのころの僕は『和さんが怒鳴るのは期待してくれてる証拠。怒られなくなったら終わりだ』と思っていました。そう思うと、また頑張ろうという気になるんです。俺、結構打たれ強いんですかね。ただ、あの毎日をもう1回繰り返せと言われたら、絶対無理!って答えますけど(笑)」
1年後、チームがbjリーグに移籍して、浜松東三河フェニックスとしてスタートを切ることになったときも太田に迷いはなかった。
「リーグが変わっても自分がチームのためにやるべきことが変わるわけじゃない。bjリーグに移るということで、チームを離れた選手もいましたが、僕には何の抵抗もありませんでした。当時bjとNBLの違いについてよく質問されましたが、正直、僕はバスケットのレベルはNBLの方が高いと感じてました。大学の有力選手はNBLに行く傾向があったし、個々のレベルだけを見ればNBLの方が上なんじゃないかって。けど、bjの選手たちがbjの誇りを持って戦っていたこともまた事実です。僕個人としては毎試合外国籍選手とマッチアップすることで体のぶつけ方とかポジションの取り方とか、いろんなことを学んだと思っています」